ベートーヴェンと東洋思想
2002年6月号掲載

【日記の一節】
1812年 
服従、おまえの運命への心底からの服従、それのみがおまえに犠牲を―――献身としての犠牲をおわせうるのだ――
(中略)―― 
おまえは自分のための人間であってならぬ、ひたすら他者のためだけに。
おまえにとって幸福は、おまえ自身の中、おまえの芸術の中でしか得られないのだ――
(中略)――
こうしてAとのことはすべて崩壊にいたる――――

 不滅の恋人、アントニア・ブレンターノとの衝撃的な別れのショックを緩衝するため感情の捌け口を求めてか、1812年から6年間ベートーヴェンは上記の言葉を第1ページ目に、気まぐれなスタイルですが日記をつけだします。この期間は私生活上で、自殺を再び考えるようになるほど鬱状態に陥っていたばかりか、作曲をする上でもとても苦しい時期でした。ウィーン会議の只中、ある程度民主的だったそれまでの体制がみるみる崩壊してゆく社会の動きも不安定で、ベートーヴェンを悩ませていた諸問題がこの日記に書き留められています。
 その中でも興味深いのは宗教や哲学、思想に関する様々な書物からの覚え書きです。

 すべての快楽と欲望より解放されし者、そは万能の一者なり。そは唯一者なり。その者より偉大なる者はなし[ブラーフマ(梵天)]

 ベートーヴェンが下線を引いて記した言葉です。「リグ・ヴェーダ」や「ブラーフマニズムの宗教体系」などインド哲学の書物からの引用が日記の中で異彩を放っています。
 英雄的な中期の様式も「新しい道」と自ら意識しつつ切り開いたものですが、ベートーヴェンはこの時期、次なる道を模索していました。問題提起と解決、相反するものの対決と融和。ソナタ形式の機能を極限まで突き詰めた中期の作曲法とは別れを告げ、穏やかで内深く思索的な作品がぽつりぽつりと生み出されてゆきます。例えば「ハンマークラヴィーアソナタ」作品106、チェロソナタ作品102、ヴァイオリンソナタ作品96。これら作品の緩徐楽章には「瞑想」という言葉が似つかわしく、インドからの影響が作品にも多分に反映されているように感じます。
 私は学生の頃からヨーガに興味を持っていましたが、近年アーユルヴェーダの思想を知ってからは東洋思想の源泉でもあるインドに憧憬を抱くようになりました。アーユルヴェーダというと日本では主に美容、健康サイドから注目されているようですが、元はインドの太古から伝わる「生命の科学」を説いたものを言います。
 自己の中に宇宙があるということに気づく。その気づきが、真我(アートマン)であり、この自己の真我と宇宙の知性(ブラフマン)がひとつになることが人間の本来の姿であるということ。純粋な静寂の体験により宇宙と合一する自己を目指すことを説くアーユルヴェーダの教えはインドで五千年もの昔から伝えられてきたものです。
 また宇宙の根元的啓示が示されている行動哲学書「バガヴァッド・ギーター」は、物質世界に対する執着心を手放し、ブラフマンに帰融する大切さを説いた「神の歌」と訳される叙事詩で、ヒンドゥー教の大切な聖典です。二千年にわたりインド読まれてきたその聖典は、1785年に英訳が出版され、以来ヨーロッパ中に急速に広まりました。その読者の中にベートーヴェンがいたのです。「バガヴァッド・ギーター」から彼が筆写した言葉です。

(略)……そして叡知の中にのみ避難所を求めよ。なぜなら悲惨と不幸は、物事の結果によるにすぎないからだ。まことの賢者は、この世の善悪に思い煩うことはない。それゆえ汝の理性をこのように使う術を習得すべく努めよ。なぜならこのような使い方は、人生における貴重な芸術だからだ。――

 インドの音階と音名を書き写すなどインドそのものにも興味を示していたベートーヴェン。キリストの教えが一般的な当時のヨーロッパで、インドの教えを人生の師とし、心のよりどころにしていたということに東洋人としてうれしさを感じると共に、ベートーヴェンの音楽が世界のどの民族にも愛される理由の一端に触れられたような気にさせてくれます。
 民族を越え、宇宙の言葉を楽譜に表したベートーヴェン。後年の彼には宇宙の知性(ブラフマン)が見えていたのでしょうか。

引用書籍:『ベートーヴェンの日記』 メイナード・ソロモン編 青木やよひ/久松重光訳 岩波書店

「ピアニストが見たベートーヴェンの素顔」表紙