演奏会評など

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音楽雑誌等に掲載された小倉貴久子の演奏会評などの紹介のページです。
執筆者と雑誌社に掲載許可をいただいたもののみを扱っています。
近年全文転載の許可が得られずらくなっているため、当ページの更新は休止中です。
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ピアノ専門誌 「レッスンの友」 1989年2月号
若手ズームアップ ピアニスト 小倉貴久子さん

昨年の12月18日(日)に津田ホールで行われた「第3回日本モーツァルト音楽コンクール」本選会において見事優勝した小倉貴久子さんにインタヴュー。小倉さんは、90年開催予定の「第5回国際モーツァルトコンクール、ザルツブルク」派遣者選抜演奏会への出場権を得た。

  まず、優勝された感想は?
「今まで、こういう賞をいただいたことがありませんでしたので、やはり、こういう形で皆さんに認めていただけたことは、すごい喜びです。演奏することに対して、楽しくできる方だと思うので、これから活動していく上で、いい第1歩を踏み出せたなあとうれしく思っています。」
  楽しく演奏する方?
「緊張はもちろんしますけど、誰かに聴いていただくことが好きなんです。以前から出たがりというか、人前で話をするのも好きで、つまり人と接触することが好きなんです。
 舞台に上がってしまうと、やるだけやろうという気持ちになってくるんです。弾いているうちに、ホールの響きが良かったり、ピアノの状態が良かったりすると、家で弾くよりももっといい音が出たり・・・・そういう楽しみがあるし、拍手が大きいと、ああ、喜んでいただけたのか、と嬉しくなります。曲を弾いている最中にも聴衆の反応が感じられるので、私は本番にのっていく方だと思います。」
 小倉さんは、物心のつく前からピアノを弾いていた。小学校時代は、父親の転勤で転々としていたが、ピアノに対する情熱は、ずっと持ち続け、七夕やクリスマスの願い事には、いつも「ピアニスト」と書いていた。
「わりと単純な性格で、あまり物事にこだわらない。何かつらいことがあっても、楽観的に考えてしまう。自然なままに今まできたと思う。」
  都立の芸高時代は、どんな風に勉強を?
「高校の時は、まじめに勉強していました。校風がそういう感じで、皆よく練習していて、それが当たり前の生活と思っていました。学校から帰ってきたら、夕飯まで練習して、夕飯のあとも練習という具合で、今考えても、よく練習したなあと思います。曲数も多く持つことができました。その頃は、東京芸大に入るのがまず目標でしたので、そのための勉強をたくさんしました。」
  芸大に入られてからは?
「高校時代にすごくテクニックという意味で勉強をしてましたので、やはり今度は音楽性ですね。私は以前から、自分では、音楽を歌う歌心というのを持っていると思っていたのですが、本番で人に聴いていただいて快い感じを持っていただける歌い方というか、そういう普遍的な歌い方というのについては、まだまだ未熟だったと思うんですね。ですから、広く勉強することになりました。高校の時は、いろんな音楽を聴くことが欠けていたなあと思って。大学に入ってからは友だちもいろんな人がいまして、伴奏や室内楽でもずい分勉強できました。音楽の幅の勉強ですね。オーケストラ、歌、室内楽等興味を持って聴くようになりました。
 人と一緒にやることで勉強になったのは、客観的に自分の本番を聴くことができるようになったことですね。これはすごくよかったと思います。ソロで弾く時に、これは多いに参考になりました。」
  これからの抱負は?
「私は、これから少しずつ音楽会をやっていきたいので、そういう意味で、いろいろな音楽関係の方々と接触をもって、自分の道を少しずつでも開いていきたいと思っています。
 やはり、私の音楽を気に入って下さる方々がいる、というのが一番の喜びですから、そういう方が少しでもできて下されば、と思います。わりと物怖じしない方なので、そういう性格を活かしていきたい。」
  特にアピールしたい点は?
「聴いていてだんだんリラックスしていただける様な音楽家になれればと思っています。聴いていてだんだん興奮して、ドキドキしてくる演奏も必要だし、大切だと思いますが、今日演奏会に来て、明日からまたやる気になったとか、そういう風な形で人と交流できたらいいなと思う。サロン的なコンサートもやりたい。」
  留学の予定は?
「今のところ、オランダへ行きたいと考えています。ヨーロッパ音楽を日本で勉強するのと、向こうで、その息吹を感じるのとでは全然違うと思いますので、ヨーロッパには行きたいと思っていました。」
  オランダというのは?
「オランダにつきたい先生がいらっしゃるし、それに、まだ私はどういう音楽が合っているかとか、どういう音楽家であるかというのがよく分かっていないので、オランダでしたら、いろいろな音楽がありますし、そこで自分を発見したら、ドイツなりフランスなりに決めたいと。まだ若いですし、いくらでも変わる可能性があると思うので、早くから限定しない方がいいと思いました。」
  ところで中山靖子先生からはどんなことを学ばれましたか?
「とても気品のある先生で、音楽もそのような感じです。バランスがよくなったと言われるようになったのは中山先生のおかげです。」
  田村宏先生からは?
「とても研究熱心な先生からは、音楽に対するとりくみ方、姿勢を教えていただいていると思います。先生は音楽のつくり方がやわらかで、ヨーロッパの伝統ある音楽のフレーズのとり方などを教えていただいています。」
  趣味はお持ちですか。
「生け花を。草月流ですが、大学に入ってから始めたんです。お花の先生がとても音楽好きの方で、いつも応援して下さって、とても励みになっています。
 生け花は音楽につながる面があって、例えば、粗密のとり方などで構成を考えること、そういうセンスを養うことなどが共通しています。
 それにピアノばかりやっていて、スランプになった時など、生け花をやると気分を発散できてすごくいい。
 ヨガも好きです。呼吸の仕方、力の抜き方、体全体の使い方など、ヨガですごく楽になり、とてもピアノが弾き易くなるんです。」
  生け花もヨガもピアノに役立っているんですね。
「ええ、私は全てのことが役に立つと思っているんです。この間のフィギュア・スケートを見ていても影響を受けました。いろんな面で、特に自分が悩んでいる時に、そういうものがきっかけで、悩みから一歩外に出られるとか。わりとピアノ以外のところからきっかけをつかむことが多いです。
 バレエの森下洋子さんが、テレビで毎日の練習のこととか、おっしゃっていたことを紙に書いて、ピアノの横に置いて練習のはげみにしたこともあります。」
 意欲満点。これからが楽しみである。

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讀賣新聞 1995年8月25日(金) 朝刊「顔」
ブルージュ国際古楽コンクールのフォルテ・ピアノ部門で優勝した 小倉貴久子さん

 きらめく高音、とどろく低音。中音域での自在な表情づけ 決勝のモーツァルトを弾き終えた時、満員の聴衆から「ブラボー」「ファンタスチック」の歓声が起こった。「まるでジャズを聴くように、体で感じてもらえたのが一番うれしかった」と、その時の感激を語る。
 ベルギーの古都ブルージュで、毎年八月初めに開かれる世界最高の古楽器演奏コンクール。会場の市立劇場での録音を改めて聴いても、独特の強じんなタッチと技巧がよく分かる。
 コンクールは三十二回目。今回で五回目のフォルテ・ピアノ(古典・ロマン派時代のピアノ)部門で、参加者二十五人の首位に輝いた。日本人ソリストの優勝は、トラベルソ(バロック期のフルートの有田正広に次ぐ二十年ぶりの快挙だ。
 「大学在学中、二年間ピアノ留学したオランダで、初めて古楽器の演奏に触れ、ショックでした。こんなに色彩的で表情豊かだなんて。瞬く間にのめりこんで、演奏会や楽器製作の工房に通い詰め、フォルテ・ピアノの独習を始めました」
 二年前、同コンクールの合奏部門に三重奏の一人として代役を頼まれ出場。わずか一か月の特訓で優勝した。これも日本人合奏団では十八年ぶり。以来、曲の時代に従って現代楽器と古楽器を弾き分けるたぐいまれなピアニストとして活躍する。
 「作曲当時の楽器は、作曲家の意図を手に取るように伝えてくれる。同じ実感をもつ仲間が増えています」
 来月八日、東京・カザルスホールで開く優勝後初の演奏会では、古楽器でシューマンなどのロマン派に挑む。
    文化部  副島 顕一氏

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古楽情報誌アントレ 1995年9月号
小倉貴久子氏が第1位  ブルージュ国際古楽コンクール・フォルテピアノ部門。聴衆賞も受賞

 第32回ブルージュ国際コンクールのフォルテピアノ部門で小倉貴久子氏が第1位を受賞、併せて聴衆賞も獲得した。このコンクールでのソロ部門日本人の第1位は有田正広氏以来20年ぶり、またフォルテピアノ部門で第1位が出たのは9年ぶり、3回目である。小倉氏は93年の同コンクールのアンサンブル部門で第1位を獲得した「トリオ・ファン・ベートーヴェン」(Cl坂本徹、Vc諸岡範澄、Fp小倉の3氏)のピアニストでもある。

 オランダに留学する前は全く古楽器に縁がなかったのですが、アムステルダムでは友人の半分が古楽器を演奏し、私の師匠(W.ブロンズ)も古楽器を演奏するという環境で、自然に興味が向かい、A.アウテンボッシュにチェンバロを習っていました。フォルテピアノはいつかはやりたいと思っていたのが、帰国1カ月前にコンクールのアンサンブル部門の代役という思わぬきっかけで始めたわけです。
 帰国後のフォルテピアノでの演奏会は、昨年まではトリオのデビュー演奏会と荒川恒子先生のアンサンブルで弾かせていただいたくらいで、本格的に始めたのは今年1月に楽器が来てからです。フォルテピアノに関しては先生はいません。音楽の解釈、楽譜を読んで音楽を作っていくという点ではモダンも古楽も変わりないと思いますし、奏法については実際の演奏の都度、響きを耳でとらえることによってタッチなどの表現方法が自然に身についていくと考えています。私は今年からC.マーネ氏のヴァルター・モデルを弾いていますが、繊細かつ豊かな音が出る楽器で、この楽器からもずいぶんと学ぶことができました。
 奏法は音楽と不可分なもので、この点ではアンサンブルの機会がたくさんあったのは幸せでした。シンポシオンはうるさい人ばかりですし(笑)。あとコンクールの曲の仕上げには夫(塚田聡氏、ホルン奏者)との共同作業の成果が大きかったです。今年は2月からFMの録音、シンポシオンでのコンサートとドイツ演奏旅行、サロンコンサートも数回、また7月には課題曲を中心としたプログラムでのリサイタルと、充実した練習ができました。
 フォルテピアノ部門の参加者は25人でした。本選に進んだのが4人、私以外ではオランダ人が2人、それにオーストリア人です。本選ではアンサンブルもあってモーツァルトのピアノ四重奏変ホ長調。「イル・ジャルディーノ・アルモニコ」のメンバーが共演者で、これが素晴らしい。うれしくなってしまうような活き活きとした音楽で、与えられた練習時間は前日に30分間と限られたものでしたが、以前から一緒にやってきたように息がぴったり合い、本番でもコンクールであることを忘れてエキサイティングな演奏ができました。
 本選ではやはりC.マーネの楽器を選びました。使い慣れていることもあるのでしょうけれど、当日あった中では一番音楽的な楽器だったと思います。マーネ氏自身も奥さんと応援に来てくれました。また会場でのリハーサルでは2年前同様、調律の梅岡俊彦さんが飛び回っていろいろアドヴァイスしてくださり本当に感謝しています。
 発表のあと審査員からも直接講評を聴きましたが、レオンハルトから絶賛されたのはうれしかったです。お客さんの反応は熱狂的でした。聴衆賞というのはお客さんの投票で決まるのですが、毎年あるわけではないようです。1位の人は必ずもらうというわけではなく、併せて受賞するのは大変価値のあることだ、と現地の人から言われました。
 これから優勝記念演奏会のようなものも含めてどんどんやっていきたいのですが、実は11月に出産を予定していまして、考えるのはそれからになります。春頃から始められると思います。シンポシオン(坂本徹指揮)でモーツァルトの協奏曲をやろうという話もありますし、その時は是非聴きにいらしてください。   (小倉氏・談)

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朝日新聞 1996年4月15日(月) 夕刊「音楽会から」

 めったに一位を出さないというブルージュ国際古楽コンクールで去年、フォルテピアノ部門で九年ぶりの優勝者になった経歴に誘われ、小倉貴久子のフォルテピアノによる協奏曲を聞いて、新しい才能に出会うよろこびを感じた。曲目はハイドンのニ長調、モーツァルトの変ホ長調「ジュノーム」(四日、東京・カザルスホール)
 自分を音楽のなかに解放しているのがいい。緊張から硬くなり、表情が小さくまとまることなく、伸びのび、らくらく弾けている。見た目にも、腕と手だけでなく、いわば全身で演奏し、からだ全体が柔軟に音楽に反応している。楽器になじんで、仲がいい。
 アムステルダム音楽院にはピアノで留学したが、やがてこの初期ピアノを独学で始めたというから「性」が合っているのだろう。それが分かる演奏。いいたいこともいっぱいあるみたい。リズムは生きいきと弾んでフレーズは明快。強弱の幅も広く、大きな息づかいのなかから音楽がよく語りかけて学究的な古臭さがない。そして技巧は的確。あと、表現に独自な香りが加わればといったところ。
 ハイドン。第一楽章では例のはつらつとした楽想を思いきり解放し、流れ流れてよどみがない。かと思うと第一、とりわけ第二楽章のカデンツでは楽曲のきめに深く分け入って幻想味を紡ぎ出す。そして第三楽章。作曲家に固有の晴朗そのものの急速なハンガリーふうロンドをスリリングな快速調で駆け抜けた。
 モーツァルト。前曲同様、譜めくりを自分で落ち着いてこなし、第一楽章を表情ゆたかに運び、アンダンティノをたっぷり語ったあと、第三楽章ではプレストの主要部を一気に弾きあげ、つづくテンポを落としたメヌエット部分ではあでやかさを際立たせて耳をひく。
 伴奏はオリジナル楽器によるオーケストラ・シンポシオン。指揮・坂本徹。一曲目、モーツァルトの交響曲・イ長調K二〇一では第四楽章に生気がみなぎっていた。秋から定期を始めるらしい。こっちにも期待。
    中河 原理氏  音楽評論家


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讀賣新聞 1996年5月7日〔火) 夕刊「文化」
小倉貴久子と「シンポシオン」演奏会 古楽演奏の新展開予感 随所で炸裂する仕掛け、歴史的文脈からも自由

 最近、ある夜の演奏会で、新しい音楽に出会った。新しい、といっても最新の現代音楽というわけではない。その演奏会の曲目は、十八世紀のハイドンとモーツァルトの作品であった。四月初めの東京。登場した演奏家たちは、女性のフォルテピアノ独奏者と、誕生したばかりの十七人の男女からなる日本の管弦楽アンサンブル。彼らはある作品を演奏するにあたって、作品が生まれた時代のものと同じタイプの楽器、いわゆる古楽器(オリジナル楽器、時代楽器ともいう)を使う。

 新鮮に響いた旋律
 古典派の名曲の古楽器による演奏に、あえて新しいという言葉を使ったのは、二つの意味がある。一つは、聴きなれたハイドンやモーツァルトの作品が、まるで今生まれたばかりの音楽であるかのように、新鮮に響いたこと。演奏会最初の曲目であるモーツァルトの交響曲第二十九番が始まるとすぐ、それはわかる。古楽器による演奏の特徴である、ヴィブラートを控えた弦の澄んだ響きと、歯切れよく語りかけるようなフレージングを武器にして、快適なテンポで疾走する演奏。その随所で、聴き手の注意を一瞬もそらさない、さまざまな仕掛が炸裂する。
 たとえば弦楽器が各パートのトップだけの演奏となって響きのテクスチュアに多彩な変化をつけたり、コンサートマスターが楽譜にない装飾を自由自在に加えてみたり。楽譜に指定されている反復をすべて実行する長尺の演奏にもかかわらず、こうした変化のおかげで聴き手はつきせぬ耳の悦びと共に、反復の必然性を会得する。続いてフォルテピアノ奏者が登場し、ハイドンのニ長調とモーツァルトの「ジュノム」の二曲の協奏曲を演奏する。フレーズを口ずさみながら「全身音楽家」と化して激しく音楽に投入してゆく即興性にあふれた彼女の演奏には、まるですぐれたジャズ演奏を聴いているかのような興奮をおぼえた。ここではハイドンもモーツァルトも、「古典」と呼ばれる安定した場所にとどまらず、現代の私たちを刺激する新しい音楽として鳴り響いている。
 もちろん、いささか逆説めくが、古楽演奏が曲を新しく感じさせるのはある意味で当然である。二十世紀後半の古楽演奏は、十九世紀以降の伝統的な解釈を疑い、楽譜というテクストの読み直しを通じて演奏/解釈の新たな可能性を探る試みであるからだ。「様式」や「歴史的正統性」といった要素と綿密に結びついているせいか、時に衒学的な印象を与えるが、実際には、作品と演奏との関係を根底から問い直す非常にラディカルな性格を備えている、と言える。
 加えて、ここで二つ目の新しさ、つまり彼らの演奏そのものの新しさについて述べたい。つまり、どんなに過激な表現になっても古楽演奏が足を踏みはずそうとしなかった「歴史的な」文脈からも、彼らの演奏は自由になろうとしていたのである。正確に言うならば、彼らにとって、もはや歴史的な認識は前提として身体にインプットされたものであり、それを武器に、何かおもしろいことを仕掛けてやろうという最良の遊び心に満ちた実験を行っているのだ。アンコールで再び演奏されたハイドンの協奏曲の終楽章では、原曲の民族的要素を強調すべく、なんと弦楽器奏者たちが楽器を叩き始めた。

 多士済々のメンバー
 紹介が遅れたが、演奏家たちは、フォルテピアノが小倉貴久子、アンサンブルは坂本徹指揮の『シンポシオン(ギリシャ語で「饗宴」)』という名のグループ。小倉も含めたメンバーの経歴を見ると、現代楽器オーケストラの団員だったり、フュージョンも手がけていたり、多士済々である。彼らは音楽学者を監修者として迎え、バロックから現代までのレパートリーを各時代の同時代楽器を使用して演奏してゆくという。ジャンルという横軸を軽々と往来する演奏家たちが歴史という縦軸を自由に駆けめぐる   その柔軟な姿勢は、古楽演奏の新しい展開を予感させる。
 しかし、近年の日本の古楽演奏シーンにおいて、これは単発的な現象ではない。現代楽器と古楽器、古楽と他ジャンルの音楽との間を自在に行き来する、新しいタイプの演奏家たちが増えている。
 現代楽器オーケストラである東フィルのコンサートマスターを経て古楽器に取り組む、ヴァイオリンの寺神戸亮。現代的なファッションに身を包んで鮮やかにスカルラッティを弾き、現代楽器の奏者とも共演するチェンバロの曽根麻矢子。ラモーの瀟洒な演奏を聴かせつつ、一方でジョプリンのラグタイムもチェンバロで弾いてしまう中野振一郎。あるいは日本歌曲を演奏活動の原点におく、異色のカウンターテナー歌手米良美一。さらには、中世・ルネサンス音楽を基礎にしながらオリジナルな創作活動も行うグループ「タブラトゥーラ」など、枚挙に暇がない。一方で、ハープの吉野直子やギターの福田進一など、現代楽器の弾き手たちが古楽器を手掛けるケースも増えてきている。

 世界的レベルで評価
 有田正広や渡邊順生、鈴木雅明といったすぐれた音楽家たちによって、日本の古楽演奏は世界的なレヴェルで高く評価される存在となった。その豊かな土壌に育まれた若い音楽家たちが今、古楽/モダンの二分法を乗り越えた、新しい演奏表現の可能性に向かって疾走している。その先にどのような未知の風景が広がるのか、期待を込めて見守りたい。

 矢沢 孝樹氏(やざわたかき) 水戸芸術館コンサートホールATM学芸員 一九六九年山梨県生まれ。慶応義塾大学仏文学科卒。共著に「古楽演奏の現在」「古楽への招待」がある

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マンスリーみつびし 1997年12月号
私的オススメ・メディア 「東京オペラシティ」を訪れ、古楽器の演奏を楽しみ、そして、猫随筆の名著を読む。

この連載は、評論家の川本三郎氏が、最近接したメディアから気になったものを取り上げます。今月号では、今秋、東京・西新宿にオープンしたばかりの文化複合施設、東京オペラシティ、古楽器を演奏する小倉貴久子、猫好きで有名だった作家・大佛次郎への思いを

(関連記事だけを抜粋させていただいております)
武満徹のメモリアルホール
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 躍動感のある古楽器の演奏
 2週間後、同じオペラシティのなかにあるリサイタルホールで開かれた「音楽の玉手箱」というコンサートに出かける。
 こちらのホールはコンサートホールに比べるとずっと小さいし、凝った造りでもない。なんだか学校の体育館のように殺風景だ。それでも演奏会そのものは素晴らしかった。
 最近、日本人の演奏会のコンサートに足を運ぶようにしている。チケットが何万円もする三大テノールのような騒ぎに嫌気がさしたからである。日本人の演奏家のコンサートはチケットが安いし、小規模なので会場の雰囲気が家族的でいい。演奏家たちも誠実に、一生懸命演奏する。
 そんななかで、昨年、カザルス・ホールで小倉貴久子というピアニストを知った。フォルテピアノ、いわゆる古楽器でモーツァルトやハイドンを演奏する。とくにその日に弾いたハイドンのピアノ協奏曲は明るい躍動感にあふれていて、聴いていて心躍った。
 オペラシティの小ホールでの「音楽の玉手箱」は、この小倉貴久子を中心とした若手音楽家たちのアットホームなコンサート。ヴァイオリン(高田あずみ)、チェロ(諸岡範澄)、ナチュラルホルン(塚田聡)【いずれもオリジナル楽器 】が加わり、ハイドンの「クラヴィーア三重奏曲・ホ長調」やベートーヴェンの「ホルンソナタ」といったラブリィな小曲を演奏した。
 大編成の大曲「マタイ受難曲」を聴き終えたときは正直ぐったりと疲れたが、若い音楽仲間たちの小コンサートは終始くつろいで楽しく聴いた。次回は来年4月とだいぶ先だが、いまから予定に入れておこう。

 猫を愛した大佛次郎
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(文・川本三郎氏)

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埼玉新聞 1998年7月17日(金) 文化ワイド版 
音楽評 リリア・ジュネス・コンサート フォルテ・ピアノの響き

一九九五年のブールージュ国際古楽コンクールで優勝した、フォルテ・ピアノの小倉貴久子のリサイタル。このリリア・ジュネス・コンサートにフォルテ・ピアノが登場するようになったのも、昨今の古楽の隆盛を物語るものだが、演奏の素晴らしさに比べ、やや聴衆は寂しく、まだ一般に古楽が浸透していないことをうかがわせた。同時代楽器による古楽演奏は、今やモダン楽器によるオーケストラの演奏にさえ大きな影響を与えているほどであり、現代の演奏表現の大きな可能性の一つとしての重要性を考えれば、埼玉でももっと積極的に紹介されるべきであろう。豊かな響きをもつこのリリア音楽ホールは古楽には最適といえ、聴衆の少なさを恐れず、今後も、このような優れた企画を期待したいものである。
 さてこの夜は、前半がモーツァルトの「われら愚かなる民の思うは」の主題による変奏曲、ロンドイ短調、ソナタ第八番イ短調。後半がベートーヴェンの七つのバガテルとソナタ第十四番嬰ハ短調「月光」という構成。フォルテ・ピアノは、音量こそ弱いが、陰影に富んだ、柔らかい人間的な響きを持っている楽器である。彼女の演奏はその特質をよく生かしたもので、モーツァルトのソナタのアレグロなど、速い曲では、軽やかな音を生かし、早めのテンポでモーツァルトの持つ「疾走感」を高め、また、ロンドやソナタの第一楽章などでは、陰影に富んだ音色を多彩に駆使して、哀しみの影を帯びた喜びともいうべきモーツァルトの本質を描き出す。後半でも、バガテルの表現の多彩さ、音の背後に静寂を感じさせる「月光」の冒頭など、深い印象を与えた。
 フォルテ・ピアノの響きには、機能性を追求するあまり失ってしまったものが残っていることを感じさせる。それは、中世のステンド・グラスの輝きが不純物の少ない現代ガラスでは再現不可能なことや、純粋な蒸留酒より不純物の多い醸造酒の方が味わい深いことと同じなのかもしれない。七月十日。  (小林淳一氏)


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音楽の友1999年6月号 コンサート・レヴュー
荒井英治、小倉貴久子(ヴァイオリン&フォルテピアノ)

 東フィルのコンサートマスター、荒井英治と、ブルージュでの優勝歴をもち「音楽の玉手箱」などでオリジナル楽器の演奏会を精力的に行う小倉貴久子が、ベートーヴェンを軸に、同時代のフンメルと弟子のリースをカップリングしたすぐれたプログラミング。フンメルの方は、野にあったベートーヴェンとは対照的にサラブレット的な存在であり、モーツァルトやハイドンの作風を色濃く残しているのに対して、弟子リースは、尊敬する師の激情性が色濃く投影されていた。フンメルのヴァイオリン・ソナタOp.50、リースのソナタOp.71、そしてベートーヴェンのソナタOp.23「春」を一夜に聴くと、当時の歴史的時間がつらなって聞こえてくる。弦をはじくフォルテピアノの金色の響きと荒井のソフトで繊細なヴァイオリンが柔らかに重なるフンメル作品は、この作曲家が当時ウィーンの人気作曲家だったことを改めて認識させる好演。アンコールには珍しいベートーヴェンの「モーツァルトの『フィガロの結婚』より『伯爵様が踊るなら』の主題による12の変奏曲」(4月21日三鷹市芸術文化センター)  (小倉多美子氏)

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マンスリーみつびし 1999年12月号
私的オススメ・メディア 黒澤明が脚本を書いた遺作「雨あがる」の完成を喜び、ピアニスト小倉貴久子の新鮮で明るい演奏に注目。永井荷風の名随筆「日和下駄」に散歩の王道を見る。

(関連記事だけを抜粋させていただいております)
世界のクロサワが遺した脚本を見事に映画化
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ピアノ奏者、小倉貴久子が初のCDをリリース
 ホロヴィッツを神格化するのもいい。グレン・グールドをあがめたたえるのもいい。
 しかし私は、現代に生きている日本人のピアニストやチェンバロ奏者を応援したい。青柳いずみこ、熊本マリ、曽根麻矢子、そしてもうひとり注目しているのが小倉貴久子。
 この人の古楽器演奏をはじめて聴いたのは96年4月、お茶の水カザルスホールで。前年、ブルージュ国際古楽コンクールのフォルテピアノ部門で、第1位となった、そのいわば凱旋公演だった。そこで彼女は、私の大好きなハイドンのピアノ協奏曲を弾いた。当時、世をあげてモーツァルトばやりのなか「ハイドンを忘れてもらっては困る」と考えていた人間には、いかにもハイドンにふさわしい、明るく楽しい演奏だった。
 以来、小倉貴久子の「追っかけ」状態。フォルテピアノという古楽器の柔らかい音に魅了されている。
 小倉貴久子は東京芸術大学のピアノ科卒。在学中に第3回モーツァルト音楽コンクールで第1位を受賞。そのあとアムステルダム音楽院に留学し、古楽器を学んだという。
 その彼女がはじめてファン待望のCDを発表した。ベートーヴェンのピアノ・ソナタ「テンペスト」若き日の楽聖のソナタを、実に若々しくのびやかに弾いている。深刻なベートーヴェンではない。まるでハイドンのように明るく清朗。
 CDの発売を記念して12月には東京・六本木のオリベホールでリサイタルもあるから楽しみ。

東京の街をすみずみまで歩いた永井荷風
・・・・・・・・・
(文・川本三郎氏)

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讀賣新聞 1999年12月16日(木) 夕刊 クラシックNOW
「プレリュード」 作品が最も生きる楽器で ピアニスト 小倉貴久子

 現代のピアノの前身に当たる古楽器「フォルテピアノ」の演奏では、日本の若手で屈指の存在。十月にベートーヴェン中期のピアノソナタ三曲を収めた初のCD(セシル)を出した。
 「有名な『テンペスト』のソナタを今のピアノで弾くと、時に音量が出過ぎて、ラフマニノフの曲みたいになってしまう。曲の強弱の幅が広いフォルテピアノなら、軽やかな音色で細かい表情まで出せるんです」
 東京芸大を経てオランダ留学中にフォルテピアノと出合い、九五年の「ブルージュ国際古楽コンクール」で優勝。その後も、活躍を続ける三十一歳。楽器に対する考え方は柔軟で、時には現代のピアノも弾く。
 「私は作品の性格に忠実でありたいだけで、曲が最も生きる楽器を選びたいのです」。当面の目標は「ベートーヴェンやモーツァルトの面白さを追求すること」と、意気込んでいる。

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カンパネラ 2001年4月号 聴いてみた「おすすめこんさーと」
小倉貴久子ピアノリサイタル ベートーヴェンをめぐる女性たち Vol.1

 本誌に「ピアニストが見たベートーヴェンの素顔」を連載中の小倉貴久子のピアノリサイタルが開かれた。ゲストはバリトンの小森輝彦である。これまで小倉はベートーヴェンやモーツァルトなど主に古典派の作品に取り組んできた。作曲された時代背景や経緯に深い考察を重ね、さらに当時響いていたとされる音そのものの再現を目指し、オリジナル楽器などを用いたそのアプローチには確かに説得力がある。
 この日はモダンピアノを使用したが、プログラムには果たして仕掛があった。死後発見され、相手を特定できず後年研究者たちを悩ませたベートーヴェンの「不滅の恋人」も、近年ではアントニオ・ブレンターノではないかと言われているが、そのブレンターノに捧げられたピアノ・ソナタ第30番作品109と第31番作品110、ベートーヴェンの弟子でピアノの才能を高く評価されていたドロテア・エルトマンに献呈した第28番作品101、加えて、いわゆる連作歌曲「遙かなる恋人に寄せて」である。
 ベートーヴェン縁の女性に関わる曲を取り上げた形だが、それだけではない。これらは全て40代半ばから作曲された、明らかに中期とは異なる内省的で思索的な新しい方向を位置付ける後期の代表的な作品群である。そんな意図も見える中、小倉の演奏は実に瑞々しい。選び抜かれた音色に詩情を常に湛え、全編をロマンティックに生き生きと弾き切ってみせた。小森の歌唱も叙情性に溢れて秀逸、Vol.2は「エルデーディ伯爵夫人」だそうだが、こちらも待ち遠しい。(真嶋雄大氏)

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清流 2001年7月号 「人々」のコーナーより
小倉貴久子 〜古楽器が奏でる時代の様式感に魅かれて〜

 文=関原美和子 撮影=小尾淳介

フォルテピアノの“衝撃”
 初めてフォルテピアノ(ドイツ語でハンマークラヴィア)に触れたとき、小倉さんは、それまで学校で学んできたことが、単なる頭の中の知識にすぎなかったことを実感した。軽やかでいてしっとりした音色。何ともいえない豊かな音感。
 モーツァルトやベートーヴェンの時代は、チェンバロやフォルテピアノなど、今でいう「古楽器」で作曲された。これらの楽器で演奏することで、彼らの音楽をより理解できるかもしれないーー。そう思ってフォルテピアノに触れてみると、古典派やロマン派といった古き時代の“様式感”が、自分の中に染み込んでくるのがわかった。「それまで『モダン・ピアノになるまでの中途半端な楽器』だと思っていたのが、大きな間違いだったと気づいたのです」

「絶対音感」も気にならず
 23歳のとき、オランダに留学。オランダは古楽器の演奏がさかんで、修復された現役のものから、新たに作られたコピー楽器まで数多くある。コンサートもあちこちで開かれ、しかも低料金で楽しむことができる。小倉さんが古楽器に触れたのも、特別なことではなく、ごく自然な出会いだったのだ。
 留学を終えて、帰国を八月に控えた1993年6月、友人に「ブルージュ国際古楽コンクール」への参加を依頼される。参加を予定していたピアニストが出られなくなったため、急遽フォルテピアノの代役を求められたのだ。同音楽祭のアンサンブル部門は、三年ぶりの開催だった。
「遊び程度で弾いただけだったので、これはもう、必死に練習しなければと思いました(笑)」
 コンクールまでの一ヶ月。知り合いの楽器製作者の工房に通い詰め、独学で楽器を弾く毎日が始まった。本格的なフォルテピアノの練習は、驚きの連続だった。タッチやペダルが、ピアノとまるで違う。
「膝で押し上げるペダルは、初めての経験でした」
 音域も、モダン・ピアノの七オクターブに対し、五オクターブしかない。ピッチ(音の高さ)も、ピアノに比べて半音近く下がる。絶対音感(ある音が鳴ったときに、その音がどの音階かわかること)を持っている音楽家にとっては、モダン・ピアノとピッチが異なる古楽器の場合、むしろ絶対音感が邪魔することもある。そのため、古楽器になじめない演奏者もいるという。
 ところが、小倉さんはそうしたことが苦にならなかった。
「不思議と、フォルテピアノに触れればフォルテピアノの、チェンバロならチェンバロの、もちろんモダン・ピアノならモダン・ピアノのピッチに、頭が自然に切り換えられる。タッチも、その楽器に合わせたタッチになるのです」
 いよいよ当日。「あんなに膝がガクガクした経験は初めて」というほど緊張したが、予選で緊張感を十分味わったせいか、本選では楽しんで演奏できたという。そして見事優勝。
 魚が水を得た如く、古楽器に出会った小倉さんはのちに、同コンクールのフォルテピアノ部門でも一位を獲得した。

音に「色」を感じるとき
 日本に戻ると、知り合いのベルギー人やオランダ人の古楽器製作者に依頼し、アントン・ヴァルター(フォルテピアノの一種)やチェンバロなどの楽器を所有。モダン・ピアノとともに、積極的に古楽器の演奏も行っている。
 日本でも近年、古楽器の演奏会は珍しくなくなったが、それでもまだ一般的にはなじみがうすい。初めてフォルテピアノの演奏を聴いた観客は、音がとても小さく感じるため、演奏に違和感を持つという。モダン・ピアノとフォルテピアノは、弦の太さも材質も異なる。モダン・ピアノの音を“鉄の力強さ”という言葉で表すとすれば、フォルテピアノは“木のしなやかさ”だろうか。モダン・ピアノに慣れている耳には、最初は小さいと感じるのも無理はない。しかし、慣れてくるうちに、音量の幅の広さや音の豊かさに気づいてゆくという。
 また古楽器が演奏された時代は、現代のような大きなホールではなく、こぢんまりとしたサロンでの演奏会が多かった。プライベートな限られた空間で奏でられる音は、今の時代に私たちが感じるよりも、ずっと迫力ある音だったに違いない。
 ピアノは、鍵盤を押し下げたとき、その先についているハンマーが上がり、弦を打つときに音が出るしくみになっている。フォルテピアノは皮巻きの小さなハンマーで細い弦を打つため、弱い力で張られている。そのため一音を出すごとに、他の弦も同時に共鳴するので、人の耳では聞こえない高い「倍音」までもが生じる。
「そのため、音に『色』ができるんです。繊細だけど力強い、凛とした音質。そんなところがフォルテピアノの一番好きなところです」
 古楽器の魅力を語りながらも、小倉さんは「古楽器を演奏したい」というより、作曲家の「音楽」を表現するための手段として、古楽器を選んだのだという。
 日本のクラシック界は、古楽界やモダン界などというように、演奏者をジャンル別に分けがちだが、「ただの『ピアニスト』でありたい」と小倉さん。そのため、コンサートでは、古楽器を弾くときもあれば、モダン・ピアノのときもある。演奏する作曲家も固定しない。

 オランダでは地方ごとにオーケストラがあり、地元の人たちが気軽に通う風景を見てきた。地域がオーケストラを支え、クラシック音楽が日常生活の一部になっている。演奏家の名前ではなく、「音楽」を聴きに行くその姿勢に、小倉さんは感動した。そして小倉さん自身も、リラックスしながら気軽に聴きに行ける、そんなコンサートをめざしている。
「少しでも時間ができれば、ピアノをひいていたいというくらいピアノが大好き」
 そう語る小倉さんは、そのやわらかな雰囲気から、観客が演奏会後にふんわりした気持ちになれる「倍音」のような魅力を持った人だ。

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レコード芸術 2001年10月号
CD評 モーツァルト:クラヴィーアとヴァイオリンのためのソナタ集 作品1

[推薦]モーツァルトのいわゆる「作品1」の六曲のヴァイオリン・ソナタがピリオド楽器を使ったふたりの若い日本人女性演奏家によってすばらしい演奏で収録されている。今回の二枚組が第一巻とされているので、ソナタ全集が計画されているらしい。今後がますます楽しみなのだが、早くもこの第一弾で多くの聴かせどころを作り、モーツァルトが意図したであろう「作品1」全体の音楽宇宙を見事に描きあげている。この時代の、いわゆるヴァイオリン・ソナタはクラヴィーア・ソナタにオブリガート・ヴァイオリンによる装飾声部が付加されたものが主流であった。しかし、そうした性格を残しながらもモーツァルトは「作品1」で二重奏の醍醐味を開拓してる。そのあたりを大西と小倉がしっかりと掌握して、両者が屈託のない演奏で音楽感興をたしかめている。これほど屈託のない演奏はなかなかない。決して衒学的にならず、ピリオド楽器という意識ではなく、モーツァルト音楽の表現という一点に向けて両者が完全にひとつのコンセプトで意志を疎通させている。その上に立っているからこそ両者は大いに翼を思いきり開いて自由に羽ばたき、飛翔している。このあたり、もしかしたら男性演奏家だとなかなか踏ん切りがつかないところなのかもしれない。二楽章構成を中心とするソナタの調和的響きが三度で連環をなしてゆくことなどもふたりは直感的に、そして、もちろん知識としても把握し、楽章の性格を多彩な音色、緩急、強弱、そしてピリオド楽器ならではの響きの明暗などを駆使して見事に表現し分けている。聴き応え、聴き甲斐のある二枚組だ。 (平野 昭氏)

[準]わが国の若い世代に属する時代楽器奏者によるモーツァルトのヴァイオリン・ソナタ集である。モーツァルトの作品は後期の少数の作品を除くと、厳密に言えば、「ヴァイオリン序奏つきのクラヴィーア・ソナタ」の性格を持っているから、その点を考慮すると少なくとも時代楽器による演奏のレーゾンデートルは強くなる。だからと言って演奏の質が高くなければ聴き手にインパクトを与えることはできないわけで、「まず時代楽器ありき・・」という考えからは脱却すべき時期に達しているように思う。
 その点で大西律子と小倉貴久子の演奏の水準はかなり高いと言える。ふたりともそれぞれの楽器の性能を熟知しており、それを音楽の表現に一致させている。
 なによりもふたつの楽器のバランスがよい。モダン楽器による演奏では今日のコンサート・グランド・ピアノがヴァイオリンを圧倒する場合もあるし、それを避けるために音量を下げるとピアノ・パートの魅力が半減してしまう。フォルテピアノ(ここではアントン・ヴァルターのモデルに基づくレプリカが使われている)の場合は、フォルテでもヴァイオリンを圧倒することはない。バロック・ヴァイオリンの音色にはモダン楽器とは違った美しさがあり、響きには潤いがあり、それがフォルテピアノの簡素な響きと結びつくとき、それぞれの機能を保管する役を果たしている。またピッチが低いため演奏全体が落ち着いた情感に基づいていることも魅力である。
 小倉はフォルテピアノの簡素な響きからニュアンスに富んだ表現を引きだしている。ちょっとした経過句でもひとつひとつのタッチが美しい余韻を持っているために、フレーズから独自の魅力を引き出している。大西も感情の昂揚するときは潤いのある響きと引き締まった表情を結びつけて艶のある美しい音で演奏している。結果としてフォルテピアノとヴァイオリンとの対話で音楽が進む場合、演奏にもいきいきとした気分が生まれる。それにはフォルテピアノの歯切れのよいタッチが効果を挙げている。またヴァイオリンのピッチが低いこともモーツァルトの音楽の特徴である長調から短調への傾斜がいっそうメランコリックに感じられる。 (高橋 昭氏)

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レコード芸術 2001年11月号
CD評 モーツァルト:ピアノと管楽器のための五重奏曲変ホ長調K452
   ベートーヴェン:ピアノと管楽器のための五重奏曲変ホ長調作品16

[準]オリジナル管楽器とフォルテピアノによるアンサンブル、カライドスコープ(万華鏡)がその真骨頂である多彩な音色でバランスのとれた演奏を繰り広げる。まさに兄弟作品のようなモーツァルトとベートーヴェンのピアノと木管楽器のための五重奏曲は両曲のカップリングが定番となっており、これまでにも多くのアンサンブルが取り上げている。しかし、モダン楽器の場合には概してピアノが協奏曲風に突出することが多い。作品自体の構成は決して協奏風ではないのだが、響きのうえでモダン・ピアノはどうしても前面に出てきてしまう。それを承知のうえで管楽器奏者たちも頑張って思わぬ鬩ぎあいでアンサンブルをドラマティックに昂揚させようという演奏スタイルもないではない。しかし、このふたつの作品は決してそうした性格のものではない。数年前にロバート・レヴィンがフォルテピアノでイギリスのオリジナル管楽器奏者と組んだ演奏を収録し、これらの作品のイメージを一新した記憶があるが、今回の小倉貴久子とアンサンブル・カライドスコープの演奏はさらに新しい作品イメージをもたらしてくれた。例えば、従来これらは同じスタイルの作品という姿勢で演奏にアプローチし、そのなかでモーツァルトとベートーヴェンの個性の違いを表現しようという演奏が多かったように思う。ところが、どうやらこのアンサンブルと小倉はモーツァルト作品とベートーヴェン作品に全く別の姿勢で臨んでいるように思える。簡単にいってしまえば、モーツァルト作品ではピアノもふくめて五つの楽器があくまでも対等にアンサンブルを楽しみながら全体の響きで昂揚するという方針だ。それに対してベートーヴェンでは、どうもピアノの協奏曲風な突出を前提としているようだ。特に第一楽章でそれは明らかだ。もちろん、ピアノだけでなく各管楽器もこのピアノに拮抗するように自己主張する。そして第二楽章ではピアノは伴奏に後退し、甘美な叙情主題を歌うオーボエ独奏、次いでファゴット独奏、クラリネット独奏、さらに進んでホルン独奏等を主役に押し上げるという、楽章間のコントラストも明確にしている。全三楽章のの流れと大きな起伏や昂揚には、カンマー・シンフォニーの様相さえうかがえる。モーツァルト作品の穏やかな表現。ベートーヴェン作品のダイナミックでスケール大きな演奏による大胆な解釈上のコントラストが面白い。 (平野 昭氏)

パイパーズ 2001年11月号
CD評 モーツァルト:ピアノと管楽器のための五重奏曲変ホ長調K452
   ベートーヴェン:ピアノと管楽器のための五重奏曲変ホ長調作品16

我らがアイデンティティ

メモ このCDを居間で鳴らしていたら、家人が「どこの国の人たち?」と聞いてきたので、正解を教えたら凄く驚いていた。皮肉抜きに、彼らの演奏内容をよく物語る話だと思う。技術的には申し分なく巧く、それでいて我々の耳になじんだ欧州大陸系のピリオド楽器奏者とはどこかしら異なる(もちろんプラスの評価としての)テイストが感じられるのだ。西洋音楽の世界に、日本人が自分たちのアイデンティティを確立するプロセスに、ぼくらはこうして立ち会えるわけですね。
 個々の奏者の安定した技量もさることながら、2つの作品のスタイルを隙なく描き分けつつ、遊びの要素も残した演奏コンセプトは、絶賛に値しよう。各パートの色彩感がこれだけ鮮明に浮き立つK452も珍しい。アーノンクールがいみじくも語るとおり、すべての音符に雄弁なる対話のレトリックが宿されたモーツァルトの譜面を、これは的確に読みとき、そして語り抜いた結果の産物である。たいがいの演奏で鬼門となる第2楽章の推移句(管楽器が次々と応唱を交わす)の、なんとまあ収まりのよい歌い口!そしてベートーヴェンでは、野放図なまでのダイナミズムが、まるで作為性を伴わず耳に飛び込む。この作品16から、彼が後のシンフォニーで木管やホルンに託した類の語彙が聴こえてくるのだ。優雅な立居振舞と豪放磊落な表情を兼ね備えた終楽章のロンドを、まあ、だまされたと思って耳にしてみてください。 

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音楽の友 2002年6月号 コンサート・レヴュー
音楽の玉手箱(第4回)

 小倉貴久子が自ら主催する室内楽シリーズ〈音楽の玉手箱〉の今回は、ベートーヴェンの良き理解者であり、相談相手でもあったアンナ・マリー・エルデーディ伯爵夫人に焦点が当てられた。オール・ベートーヴェンのプログラムは、彼女に献呈された「チェロ・ソナタ第4番」と、同じ頃作曲された「クラヴィーアのための幻想曲」、「ヴァイオリン・ソナタ第10番」、そして「ピアノ三重奏曲第6番」である。共演は東京フィル・コンサートマスターの荒井英治と新日本フィル首席チェロ奏者の花崎薫、小倉の使用楽器は、やはり同時代の1820年頃ウィーンで製作されたマテーウス・シュタインが運び込まれた。時代を含めた深い考察から生み出されたのは、どちらかというと緊迫感よりも自由で明るい雰囲気であり、典雅なたたずまいに重きを置いた風趣で、得もいわれぬ優美な響きが濃密に再現されていた。それだけに今後は、会場の広さと楽器自体の音量のバランスにも配慮があってよいだろう。(4月10日・東京文化会館)〈真嶋雄大氏〉

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レコード芸術 2002年7月号
CD評 「月光」〜幻想曲風ソナタ/クラヴィーア作品集

[推薦]小倉貴久子は東京芸大を了えてのちオランダに留学、かの地でピアノ、チェンバロを学ぶうちフォルテピアノに惹かれ、演奏に関する研究を独学できわめたという。ここ何年かに、独奏および室内楽、いずれもモーツァルト作品のCDを3点発表してきている。ここにお目見えしたベートーヴェンも、この人の研鑽がたいへん高い境地を拓いていることを実証して、非常に聴きごたえがある。使用楽器はクリス・マーネ(ベルギー)が1995年に製作したアントン・ヴァルター(1795年)のレプリカだが、すこぶる良い響きを立てている。このタイプのヴァルターはベートーヴェン本人が1800〜02年に実際に使用していたフォルテピアノだということで、小倉貴久子は当然そのあたりを勘考し、その頃の作品である作品27の《幻想曲風ソナタ》2篇に、《7つのバガテル》作品33、《自作主題による6つの変奏曲》作品34を併せたプログラム作りをしている。どの作品もフォルテピアノの持味を十分に発揮せしめた秀演であるが、とりわけ「モデラート・ペダル」(ペダルとはいえ、膝をもって操作するレバー)を第1楽章アダージョに終始用いつづけたという《月光》の、デリカシーに満ちた雰囲気はすばらしい。4つの作品を通じ、「なるほど、これがベートーヴェンによって思い描かれ、感じられていた“本来の”音か」と、納得させられるのである。フォルテピアノによるベートーヴェンがすべて同じように説得力を持つとも限らないが、この“フォルテピアニスト”の指のもとで、説得力はきわめて高い。申すまでもなく、楽器自体の性能が良いから、と言うより、それを十全に把握して生かしきる奏者のセンスあってこそである。 〈濱田滋郎氏〉

[推薦]マーネ製作のヴァルターのレプリカを使用。《7つのバガテル》は多様な表情による演奏で、時に果敢に攻め立てる(たとえば第2番)。楽器が完全に鳴りきり、小品集というイメージとは違ったダイナミックな演奏が繰り広げられる。当然ながら、モダンのピアノとフォルテピアノとでは曲のスケール感が違ってくる。むしろ、これが等身大。フォルテピアノの美質を十分に引き出しうるピアニストだからこその演奏である。
 2曲の《幻想曲風ソナタ》作品27も聴きのがせない。27の1は、ひとつひとつのタッチに神経が行き届き、アーティキュレーションにもこまやかに神経が張り巡らされて、ここでも多彩な情感がもたらされる。第2楽章の主題は精力に満ち、狂おしいほどの活気とパッションをもって弾かれる。第3楽章は、抑制された高揚感をもった行進曲風の味わい。性格作りが明快だ。アレグロ・ヴィヴァーチェは熱気に溢れたダイナミックな演奏。最後まで集中力と力が衰えない、圧倒的な体力と精神力を示す快演である。
《月光》冒頭の第1主題は定石通りモデレーターによるくぐもった音色が幻想性を醸し出す。水中にいるかのようなサウンドはモダン・ピアノでは絶対に得られない。第2楽章と第3楽章も活気のある精力的な演奏だが、ここの両楽章はもう少し性格的な対比や複雑なニュアンス付けがあってもいいのではないかと思う。《自作主題による変奏曲》では華麗なパッセージが舞う、ダイナミックにして可憐な佳演。第3変奏ではダンパーとモデレーターを組み合わせた音色が夢心地に誘う 〈那須田務氏〉

録音評 95点 〈神崎一雄氏〉

讀賣新聞 2002年6月21日(金) 夕刊 サウンズBOX〜クラシック〜
讀賣新聞記者の注目盤

 フォルテピアノの小倉貴久子がベートーヴェンの初、中期のけん盤作品に挑戦。この楽器特有の豊富な音色や音量の増減を生かし、新鮮な味わいを引き出す。ほかに「7つのバガテル」など。

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ムジカノーヴァ 2002年12月号 『今月のプレ・トーク』
復元楽器を通して、作曲家の生きた時代を辿る『洋館サロンで楽しむコンサート〜モーツァルトの生きた時代』
文 雨宮さくら氏


 東京芸術大学、同大学院ピアノ科を修了し、オランダ・アムステルダム音楽院を栄誉賞付きで首席卒業なさった小倉貴久子さん。
 日本では大学3年生の時に、第3回日本モーツァルト音楽コンクールで第1位。その後大学院在学中に渡欧。留学地のオランダは、ガウデアムス現代音楽コンクールがある地。現代音楽と古楽が日常的に同居していたと言う。そこで古楽器の世界に次第にのめり込み、チェンバロを学ぶ。2年間の滞在中、古楽器の豊かな色彩と表現に存分に触れ、楽器製作工房にも通った彼女は、ベルギーの古都で毎夏開催される、有名なブルージュ国際古楽コンクールで、たまたま誘われピンチヒッターとして出演したところ、アンサンブル部門で優勝。さらにその2年後、95年、同コンクールのフォルテピアノ部門で優勝。これは日本人ソリストとしては、バロックフルートの有田正広氏に次ぐ20年ぶりの快挙。しかし現在に至るまで、彼女はフォルテピアノの演奏に関しては独習なのだというから驚く。ピアノ科出身でピアノはもちろん、チェンバロやフォルテピアノをこなして、タッチなどで楽器の違いに戸惑うことはないのだろうか?
 「…現在では、その楽器に向かって座ると、体が自然に、その楽器にふさわしい弾き方に感応するのです…」とのこと。古楽器というと、特殊な世界と思われがち。そんな閉鎖性に風穴を開けられたら…」と言う。敷居を高くしないで、誰でも楽しめるコンサートにしたいのだそうだ。テーマを定めた定期的な演奏会や、自ら主催する室内楽シリーズ『音楽の玉手箱』を展開する。「古楽器を演奏したいというより、作曲家の音楽そのものを表現する手段として、その時代あるいはその作品に一番ぴったりくる楽器を、と考えたら古楽器になった…」というスタンスで演奏するのだと言う。2002〜03年秋、全4回シリーズ『洋館サロンで楽しむコンサート〜モーツァルトの生きた時代』では、海老澤敏氏の教え子で同年齢という、安田和信氏の話を交えて、モーツァルトの生きた時代の復元楽器を用い、その時代を生きた作曲家たちの作品を演奏する。今後、ベートーヴェンについてもこうした企画を考えているという。
 古楽器の演奏会は採算を取るのが大変なのでは?と窺ってみると、「夫が調律をしてくれたり、楽器店はじめ関係各位の暖かい理解があって何とか…」とのこと。爽やかで明るく、知的で気さくなお人柄。ファンが多いのも頷ける。話がはずんだのは言うまでもない。彼女の充実のHPはこちら。www.h2.dion.ne.jp/~kikukohp/

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音楽の友 2003年4月号 コンサート・レヴュー
桐山建志vn&小倉貴久子p

 シューマンの「3つのロマンス」作品22、シューベルトの「ファンタジー・ハ長調」D.934、メンデルスゾーンのソナタ作品4、それにシューマンのソナタ第1番作品105が演奏された。バロック・ヴァイオリンおよびフォルテピアノの専門家である2人であるが、使用楽器の問題ではなく、この日の2人の演奏は新鮮。「クロイツェル・ソナタ」やパガニーニに刺激を受けて作曲されたとされているシューベルトの作品も、この2人の演奏では、まず音楽的な美しさが聴こえてくる。そしてその中で技巧は消化された状態で表われてくる。作品の形もよく奏出されていて、爽やかな聴き味をおぼえた。メンデルスゾーンも小倉の表現が立体的であり、しかも気品があり好感が持てた。最後のシューマンも2人の奏者ならではの表現で仕立てており味わいがあった。(2月11日・東京文化会館〈小〉)〈長谷川武久氏〉

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しんぶん赤旗 2003年7月4日 日刊 「音楽」
『ダイレクトな躍動感』 ハイドン・クラヴィーアコンサート

 フォルテピアノの小倉貴久子が音楽学者・伊東信宏の話とともに、ハイドンに焦点を当てた。退屈なハイドンのイメージを払しょくするのが目的だという。
 鍵盤楽器の総称クラヴィーアの中で、フォルテピアノは、十八世紀のピアノである。一七三二年から一八〇九年の、まさにハイドン時代の楽器。今のさまざまなとらえ直しは楽器考証のほか、古楽器の使用を最大の特徴とする。小倉が使用した楽器モデルは一七九五年製作のもの。響きからして新鮮だ。
 何よりも、ハイドンの表現のねらいが真新しく聞こえる。フォルテピアノは鍵盤タッチがピアノと違い軽く浅い。それはチェンバロ以上だという。だが爪(つめ)で弦をはじくチェンバロと違い、ハンマーで打弦する構造だ。つまり小倉のねらいは、チェンバロのように音楽が転がる軽快な疾走感を求める一方、強く激しい音楽表現にある。
 小倉はフォルテピアノのこの特性を生かし、ハイドンの斬新さをあぶり出す。第三一番の無数にちりばめられた長い休止では、巧みな間となって感情の高ぶりを表現する。まるでロマン派のような自由なテンポの変化を先取りする。第五〇番では古典派ハイドンを飛び越え、情感豊かなロマン派の音楽を思わせる。
 エステルハージ家に長く仕え、音楽が貴族のささげものの時代から晩年、商品として自立し、市場で飛び立つまで身をもって体験した。それがハイドンだ。小倉のフォルテピアノは、そんなハイドンの時代のダイレクトな躍動感を伝えた。(宮沢昭男氏・音楽評論家)6月26日、東京オペラシティ近江楽堂

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音楽の友 2004年3月号 コンサート・レヴュー
小倉貴久子『モーツァルトの世界』 第1回 ソロ(フォルテピアノ)

 小倉貴久子のフォルテピアノを中心に据えたシリーズの初日を聴いた。独奏曲を様々なカテゴリー(チェンバロからピアノへ、多感様式など)に分け、日頃あまり耳にすることのない珍しい作品や、変奏曲やソナタなどが演奏された。ソナタ第1番は各楽章の性格が明確に描出される(流麗、デリカシーに富んだ歌、めりはりの効いたリズムと溌剌とした感興)。即興演奏さながらの「転調するプレリュード」を経てアタッカでロンド・イ短調へ。時折用いられるモデレーターが効果的で、アーティキレーションは繊細かつ多様。「デュポール変奏曲」におけるデュナーミクの統制とソノリテの端整な美しさも特筆される。欲を言えば、「前奏曲とフーガ」の前奏曲には、各部分の関連における、よりいっそうの内的必然性が望まれるが、強靱な集中力で弾かれたフーガは秀逸。ソナタK333の2,3楽章が、繊細、優美、表情の多様さなど小倉の美質のよく出た秀演だった。アンコールでSMAPの人気曲を主題とした自作の変奏曲を披露。聴衆を沸かせた。4月、9月の続編が楽しみだ。(1月18日・第一生命ホール)〈那須田務氏〉

ムジカノーヴァ 2004年4月号 演奏会批評
小倉貴久子(クラヴィーア) モーツァルトの世界第1回

 クラヴィーアをめぐる全3回シリーズ〈モーツァルトの世界〉の第1回め。1795年製のアントン・ヴァルター・ピアノのレプリカで、クリス・マーネ製作のウィーン式アクションを持つ楽器によって、変化に富むモーツァルト作品の数々が、当時の響きを再現する形で、この日演奏された。
 東京芸術大学大学院修了後、アムステルダム・スウェーリンク音楽院に学び、特別栄誉賞付きの首席で卒業した。小倉貴久子は、第3回日本モーツァルト音楽コンクール優勝、ブルージュ国際音楽コンクールのアンサンブル部門およびフォルテピアノ部門で優勝。毎回、語りを取り入れた活発な演奏活動でファンが多い。特選盤のCDあり。
 バランスの取れた人である。柔らかで親しみやすい雰囲気を常に周りに漂わせ、実に自然に呼吸するように、楽しく生き生きと演奏する。とても真面目なのだけれども、それが度を超すことはなく、非常に丁寧なのだが、それで音楽が硬直化することはない。複雑なものを精緻に描いて見せる演奏家は多いが、そこに優雅な流麗さと陽気さが備わっている人は少ない。小倉貴久子の魅力がまさにここにあると思う。第2, 3回は、4月24日、9月29日。(1月18日、第一生命ホール)〈雨宮さくら氏〉

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音楽の友 2004年6月号 コンサート・レヴュー
小倉貴久子(フォルテピアノ)〈モーツァルトの世界〜室内楽〉

 前半は三重奏曲2曲で、ト長調K496とハ長調K548。クラヴィーアは1795年製アントン・ヴァルターをモデルとしたクリス・マーネ製作楽器。ホールがやや大きめにも感じられたが、小倉の精妙なタッチから生まれる洗練されたアーティキュレーションはそれを充分に補っていた。16分音符のパッセージなど粒の揃った真珠のよう。ヴァイオリンの桐山建志は出るところ退くところよく心得た好演。チェロの花崎薫の安定感あるサポートが全体をぐっと引き締める。2曲のうちではK548のアダージョ楽章からフィナーレがことに豊穣に響いていた。後半はヴィオラの長岡聡季が加わって四重奏曲変ホ長調K493。ヴィオラ1挺でかくも厚みが増すことを実感、その意味でも好プログラミングだ。神秘的なハーモニーの中からトニカのテーマが浮かび上がる冒頭部と、弦3者とクラヴィーアとが沈潜した色合いの対話をかわす第2楽章が印象深かった。(4月24日・第一生命ホール)〈萩谷由喜子氏〉

ムジカノーヴァ 2004年7月号 演奏会批評
小倉貴久子 モーツァルトの世界・第2回 *モーツァルト本来の室内楽の魅力を堪能

 クラヴィーアをめぐる全3回シリーズの第2回「室内楽」。共演者は桐山建志(ヴァイオリン)、長岡聡季(ヴィオラ)、花崎薫(チェロ)の諸氏。演目は以下のとおりである。モーツァルトのクラヴィーア三重奏曲を2曲、すなわち《ト長調》K496と《ハ長調》K548。休憩後に《クラヴィーア四重奏曲変ホ長調》K493。
 1780年代後半に作曲されたものを、(強大な表現を目指すために進化?してきた)現代の楽器による表現で享受する機会が多い耳には、たいへん新鮮な驚きに似た気分を味わい、また当時のひびきをたしかに推測させる音響世界を堪能することができた。
 使用楽器はクリス・マーネ製作のフォルテピアノ(アントン・ヴァルター1795年モデルのコピー)であったが、現代の鋳鉄製のものとはまったく異なる木製のフレームから醸されるひびきは(ハンマーの材質や弦の張力の違いなども相まって)まったく滑らかな、そして軽やかなもので、奏者の音楽的気分の表出にたいへん繊細に反応するような印象であった。また、当夜の弦楽奏者もスティール弦ではなくガット弦を張ったということも、暖かいひびきの創出に大きく寄与しているように思えた。
 ピアニストの自己の技術への絶対的信頼、そして弦楽器奏者との音量的バランスは理想的なものに感じられた。(アンコール前の女史の言葉にあったように)フォルテピアノの低音とチェロの音量が拮抗するバランスにおいてはじめて、楽器間の対等なダイアログの受け渡しが可能になるようだ。現代のピアノでの演奏では音量的にピアノの優位が強調される感があるが、この夜は必要に応じて、ピアノがはるか弦楽器群の背景に退く「遠近感」さえ感じることができた。
 いずれにしてもよく耳にする、それぞれの楽器が「競奏」する感のピアノ三重奏や四重奏とはだいぶ趣を異にする、いわば総体で一つの楽器としての完全性を示すような一体性(ここには演奏家個個人の卓越した技術という前提があるのは当然のことであるが)、またこのことに由来する精神的にも寛いだ、豊かな奥行きを感じさせるモーツァルト本来の室内楽を楽しむことができた。(4月24日、第一生命ホール)〈石川哲郎氏〉

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レコード芸術 2004年7月号
CD評 メンデルスゾーン/ヴァイオリン・ソナタ全集

[準]このところ意欲的な活動を続けている桐山建志が小倉貴久子と組んでメンデルスゾーンのヴァイオリン・ソナタ全曲を録音した。ここでも彼らは単に現行の出版譜を演奏するのではなく、メンデルスゾーンの自筆譜までさかのぼって検証し、出版譜の校訂者による改編に加えて、作曲家自身による明らかな誤りまで訂正して演奏している。特に作曲家が途中で放棄したヘ長調ソナタの改訂版(1839)は世界でも初めての録音であろう。
 ヘ長調ソナタ(1820)では桐山の美しい音が調性と結びついて、のびやかな情感を生み出している。また第2楽章の変奏曲では音色と表情を細かく変化させて繊細な感情を表現している。彼も小倉もリズムのアクセントが適切なので演奏全体が生き生きしており、特に第3楽章では充実した気力が演奏に説得力をもたらしている。
 ヘ短調ソナタも好演。特にロマン的な感情が豊かに起伏する第3楽章で桐山は見事な対応を示している。
 ヘ長調ソナタ(1838年のオリジナル版)では、桐山も小倉も気力の充実した演奏を聴かせるが、感情の起伏は自然で音楽の性格に合致している。同じソナタの1839年改定版も好演。
 なお小倉は1795年のヴァルター・モデルのコピーと、1845年のシュトライヒャーのフォルテピアノを使い分けている。作曲年代を考慮してのことと思われるが、両者の音色と響きの相違がわかって興味深い。(高橋 昭氏)

[準]ヴァイオリンの桐山建志が今回はフォルテピアノの小倉貴久子と組んでメンデルスゾーンのヴァイオリン・ソナタ全3曲を収録した。しかも、作品番号を持たない後期の「ヘ長調ソナタ」の1838年初稿の世界初録音と、このソナタの1839年改訂稿第1楽章のフラグメントの世界初演。メンデルスゾーン研究者の星野宏美氏の解説によれば、桐山と小倉はベルリン国立図書館やオックスフォードのボドリー図書館に所蔵されているメンデルスゾーンの自筆譜や筆写パート譜まで丹念に調査して、また後期のヘ長調ソナタでは一般に使われている出版譜(メニューイン校訂)にはメニューインの編曲とも言えるような主観的補筆があることまで確認し、可能な限りメンデルスゾーンの1838年段階での自筆譜完成時の初稿をも再現しているという。その際、初稿に見られる明らかに不自然な箇所をわずかに手を加えて演奏しているという。このような意味からしても今回の桐山=小倉の録音は意義深い。しかし、前述したようなこととは無関係にこの演奏は大変にすばらしい。1820年というから、作曲者が11歳になるかならないかのころのヘ長調ソナタの音楽作品としての、完成度の高さとは言わないまでも、少しも稚拙なところのない愛らしく、生き生きとしたヴァイオリン・ソナタの表情も十分に楽しめる。唯一作品番号の付いた1823年作曲の作品4ヘ短調ソナタの、深刻な表情を湛えて無伴奏のアダージョで始まる第1楽章の静謐さのなかにも熱いものを感じさせる表現。そして、しばしばヴィイオリンとピアノの独奏による楽句が織り込まれた独特な構成など、この作品の魅力を十分に表現している。また、ピアノの独奏ではじまる第2楽章の開始2音を聴くだけで第1楽章主題との関連を感じさせる曲の構成をこの演奏はしっかりと認識している。こうした静謐な先行楽章2つのあとに終楽章アレグロ・アジタートが情熱的に高揚する。
 この楽章でピアノ声部の高音域にあるトリルがフォルテピアノならではの不思議な音色と響きを醸しているのも、私には魅力的だし興味深い。そして、大戦後になるまで出版されずに手稿譜のまま残されていた後期のヘ長調ソナタ(メンデルスゾーンが3曲すべて「へ音」を主音とする調で作曲しているのも興味深いが)の初期稿が溌剌として精彩に富んだ表情で演奏されている。そして、フラグメントとは言え、その第1楽章の1839年改訂稿がかなり違った表情をもっているのを確認できることが嬉しいし興味深い。ただ、この改訂は音楽的な要求からメンデルスゾーン自身が行ったものではあろうが、初期稿の何の疑問や一点の曇りもなく前進する自然な高揚感も捨てがたい魅力をもっているのを確認できる。桐山と小倉のアンサンブルも大変に見事だ。(平野 昭氏)

録音評 90〜93点 〈三井 啓氏〉

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音楽の友 2004年12月号 コンサート・レヴュー
小倉貴久子(フォルテピアノ)〈モーツァルトの世界〜コンチェルト〉

 古楽奏法にスタンスを置いた独自の活動を展開する小倉貴久子だが、「モーツァルトの世界」として「クラヴィーアをめぐる全3回シリーズ」を完結した。すなわち第1回はソロ、第2回はクラヴィーア三重奏などの室内楽、そしてコンチェルトの今回は「交響曲第33番K319」「クラヴィーア・コンチェルト第17番K453」「同第27番K595」が演奏された。
 コンチェルトでは、小倉はクラヴィーア(アントン・ヴァルター1795年のモデル)を弾き振り、古楽器によるオーケストラはところどころバランスに偏りが感じられたが、全体では自然な流麗感を紡ぎながら典雅な風趣を表出する絶妙のアンサンブルとなった。みずみずしく透明感に溢れた音色、純度の高い響き、そして細やかな陰影に富む表情は聴き手の心の奥底を揺さぶる。さらに颯爽とした躍動感も十分に横溢しており、現代におけるクラヴィーアのひとつの規範を示した出色の演奏と言えるだろう。(9月29日・第一生命ホール)〈真嶋雄大氏〉

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ぶらあぼ 2005年3月号 新譜 ぴっくあっぷ 一聴必聴 このCD&DVD
CD コジェルフ:クラヴィーア作品集/小倉貴久子

 古典派ファン垂涎もののアルバム。レオポルド・アントン・コジェルフ(1747〜1818)はプラハ出身で、ウィーンに出てきてからはクラヴィーア奏者、作曲家としてモーツァルトのライヴァルとなった人。ギャラント様式よりも、躍動感と迫力ある展開など男性的な作風が大きな特徴だ。特に短調ソナタはロマン派を先取りするような表現的な和声や力感に満ちたパッセージが使われ、聴き手をぞくぞくさせる。小倉貴久子のアプローチは精緻ながら勢いがあり、何よりも作品に共感して弾いているのが良い。世界初録音となるカプリスなど凄い名演だ。〈城氏〉

音楽の友 2005年4月号 Disc selection of The Month(今月のディスク)から
CD コジェルフ:クラヴィーア作品集/小倉貴久子

 今月聴いたCDのなかで一番驚き、そして感心したのは小倉貴久子のフォルテピアノによる「コジェルフ:クラヴィーア作品集」だ。コジェルフ(1747〜1818)はモーツァルトと同時代にウィーンで活躍した作曲家で、あらゆるジャンルの音楽を書いた。コジェルフの優秀さはともかく、驚いたのは小倉の演奏の雄弁さだ。楽譜からこれほど生き生きした音楽をひきだすのはよほどのファンタジーの持ち主に違いない。聴き手の心を爽快にしてくれる演奏だ。〈小畑恒夫氏〉

レコード芸術 2005年4月号
CD評 コジェルフ:クラヴィーア作品集/小倉貴久子

[推薦]モーツァルトの時代にウィーンで名を挙げたボヘミア出身の作曲家、レオポルト・アントン・コジェルフ。以前、LPの時代に聴いた、彼の手になる情感豊かな短調交響曲が心に残っているが、当盤の第1曲《ソナタ》ト短調が鳴り出すと、そのイメージがそのまま再現されるので、つい嬉しくなってしまう。後段にもヘ短調の《ソナタ》とハ短調の《カプリス》が置かれるほか、中間を占める長調作品のうちにも「感性に富んだ」と形容できるような部分は少なくない。CD全体を聴き通すにつけ、これだけ魅力にあふれた鍵盤曲が、音楽史家か一部の熱心な愛好家以外には知られずに過ぎてきたことは、じつに残念かつ勿体ないことだったと嘆ぜざるを得ない。もとよりそれだけに、コジェルフの楽曲をまとめて、しかもフォルテピアノによる「深く感じ切られた」名演のもとに紹介してくれるこのディスクの価値は、文字どおり計り知れない。それにしても小倉貴久子の演奏はすばらしい。当CDも幸いなことに安田和信氏の周到なライナー・ノーツを得ているが、その中で氏が「・・誤解を恐れずにいえば、小倉は感情表現をしているのではない。いまそこに生まれ続ける音楽の感情とともに彼女は「生きている」のだ」と記しておられるのは至言であろう。たしかにそこまで、この人が示す作品への、そして己の愛器への同化は深い。当CDを、これまでに作られたフォルテピアノの全ディスク中、最上のランクに入れることを私はためらわない。それは同時に、コジェルフという作曲家を真に見直すことにもつながる。ピアニストに対し、心からの賛美と感謝を記しておきたい。〈濱田滋郎氏〉

[推薦]レオポルト・アントン・コジェルフ(1747〜1818)のおよそ40曲のピアノ・ソナタのうち、80年代のソナタが2曲、90年代初期が1曲。それに97年に出版されたカプリスが収録されている(ソナタの合間にカプリスを挟んで、調性的な流れをよくしている)。使用楽器はマーネによるヴァルター(オリジナルは1795年)。シュタインに比べてがっしりとした作りの硬質なサウンドは、これらの情熱的かつヴィルトゥオジティの魅力に満ちた音楽にぴったりだ。ここでの小倉貴久子は集中力と表出力の強い演奏を聴かせている。《ソナタ》ト短調は和音や移ろいや各部分の音楽的な特徴が明確に捉えられ、指巡りも鮮やか。第2楽章のロンドでは多彩なアーティキュレーションが雄弁に音楽を語る。《カプリス》変ホ長調は抑制された表現とダンパー装置の効果が相俟って幻想味溢れる演奏に仕上がっている。《ソナタ》変ホ長調第1楽章アレグロのリズムの力強い推進力、第2楽章のやわらかなシチリアーノ舞曲風の前半と中間部の情熱的な部分とのコントラストも見事。モデラート装置の使用も気が利いている。コジェルフといえば、コンチェルト・ケルンやオーケストラ・シンポシオン、ロンドン・モーツァルト・プレイヤーズのディスクが想起されるが、いずれも管弦楽作品。クラヴィーアのためのソナタにもいくつか録音があったと記憶しているが、まだまだ大作曲家の影に隠れたマイナーな存在であることには変わりはない。そこに今回、ピリオド楽器による充実した秀演が加わったことを、大いに喜びたい。〈那須田務氏〉

録音評 90〜93点 〈若林駿介氏〉

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ムジカノーヴァ 2005年8月号 演奏会批評
小倉貴久子フォルテピアノ・リサイタル〈ボヘミアの森から〜チェコのピアノ曲を集めて〜〉

 フォルテピアノの力強い音を聴いた瞬間「シュトルム・ウンド・ドラング」(疾風怒濤)という言葉が浮かんだ。小倉貴久子の新譜CD(『コジェルフ:クラヴィーア作品集』)の発売を記念して開かれたコンサートでのこと。この日は「ボヘミアの森から」と題してチェコのピアノ作品を集めて行なわれた。東京芸術大学大学院からアムステルダム・スウェーリンク音楽院に学んだ彼女は、ブルージュ国際古楽コンクールでは93年のアンサンブル部門、95年のフォルテピアノ部門で共に優勝している。
 今回演奏されたのはトマーシェク、ヴォジーシェク、ドゥセクなどのソナタや即興曲といった鍵盤作品。そして後半がシュチェパーンの《カプリス第3番》の後、この日のメイン・プログラム、コジェルフの作品。モーツァルトのハ短調《幻想曲》を思わせる《カプリス》、感情の激しい昂揚をぶつけたヘ短調の《ソナタ》作品38-3などは、奔放に味付けされ、そこにあふれる生命力をの謳歌を盛り込む。そのフォルテピアノから流れ出る圧倒的なパワーこそ、小倉にとって自己を表現するのにもっともふさわしい楽器なのだろう。とにかくこの人の切れ味のよい打鍵とそこに展開される音楽は、聴く者に爽快感を与える。作品に肉薄していくピアニストの情熱や感情の表出は、時に大胆で、時に繊細、自在な境地を見せる。ドゥセクの《ソナタ》作品9-2のメランコリックなラルゲットに続くプレスト・アッサイの華麗な技巧などでは、テンポに対する際立った反応と強弱表現、アゴーギクのセンスを十分に知らしめる。そのなかに往時のウィーンを舞台にした音楽家、とりわけボヘミアの音楽家達への熱い想いが感じ取れた。(6月1日、日本福音ルーテル東京教会)〈河原 亨氏〉

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ぶらあぼ 2005年9月号 ニュース小耳大耳
浜松市楽器博物館が貴重な所蔵楽器を録音したCDを発売

 国内の楽器関係の資料館としては最大級の規模を誇る浜松市楽器博物館が、所蔵している楽器を利用したCD4枚をリリースした。そのうち、チェンバロ及びピアノをテーマとしたディスクが3枚を占めているが、そのいずれも制作者の熱意が伝わってくるような、充実した内容となっている。
 とりわけ注目は、コレクションシリーズ4「フォルテピアノ」。このタイトルには、19世紀前半に制作された計6台のピアノによる演奏が収録されている。この時代のピアノという楽器は、産業革命の落とし子だった。技術革新の成果が注ぎ込まれることによって、音域は広がり、音色が変化し、音量は次第に増大していった。そのような物質的な変化を遂げつつも、6台の楽器それぞれの音色、そして美しい外観には、制作者や地域の違いによる明確な個性が刻まれている。このCDを手に取ることによって、各楽器のユニークな個性を、巧みな選曲と演奏によって手軽に楽しむことができる。
 当時のピアノは、発音機構(アクション)の違いによってイギリス式とウィーン式に二分することが出来る。ウィーン式はその名の通り、ドイツ語圏を中心に採用され続けたが、現在ではイギリス式に完全に取って代わられたため、我々が知っているピアノは全て、イギリス式のアクションを備えたピアノである。しかしながら、19世紀初頭のウィーンの作曲家達には、イギリス式アクションを備えたピアノと出会いは、まさに未知との遭遇だった。このディスクには、ヨーゼフ・ハイドンとベートーヴェンが、イギリス式アクションとの出会いから生み出したソナタ2曲(うち1曲はあの「熱情」だ)の第一楽章が収められている。
 他にも、ノクターンの開祖とされるフィールドの作品を、ショパンのノクターンと同時に楽しむことができたり、ベートーヴェンの「エリーゼのために」からシューベルトの即興曲、メンデルスゾーンの無言歌といった作品によって、ウィーン式の楽器が持つ繊細さを堪能できたりなど、当時の楽器の個性を様々な角度で楽しむことが可能だ。そんな収録作品の中でも異色なのは、ベートーヴェンの『創作主題「トルコ行進曲」の主題による6つの変奏曲』。この作品の演奏で使われているウィーン式アクションのフリッツには、ファゴットペダルという独特のペダルや、鐘や響板を叩く太鼓という、現在のピアノでは「あり得ない」メカニズムが内蔵されている。その楽器が奏でるトルコ行進曲は、「打楽器付きピアノ」って有りなのかという価値観を越えて、素直に愉しい。
 ところで、そんなピアノが織りなすドラマの原点は、18世紀フィレンツェのある天才の発明にある。その発明とは、コレクションシリーズ5「クリストーフォリ・ピアノ」で演奏されているバルトロメオ・クリストーフォリによる「グラーヴェチェンバロ・コル・ピアノ・エ・フォルテ」、いわゆる世界初のピアノを指す。クリストーフォリのピアノは、世界には3台しか残されておらず、いずれもその響きを確認できる状態にはないが、古楽演奏の高まりと共に、レプリカの制作が試みられるようになった。このディスクで使われている楽器は、そのようなレプリカ制作の中でも、いち早く1995年によって行われたものである。
 その録音は、クリストーフォリ・ピアノを前提に書かれたジュスティーニのソナタで始まり、ドメニコ・スカルラッティやマルチェッロの作品、そして最後はヘンデルの「調子の良い鍛冶屋」で締めくくられている。そのヘンデルの有名な作品は、コレクションシリーズ3「チェンバロ」の冒頭にも納められているため、当時の2つの楽器の聴き比べが可能となっている。字幅がつきてしまったが、このチェンバロ編の内容も無論充実、特にブランシェの輝かしい音色が印象的である。
 演奏者の小倉貴久子、中野振一郎は我が国を代表する名手達であり、彼ら自身が手がけた解説文は、楽器や作品の魅力を分かりやすく伝えてくれる。ピッチや音域も記載された楽器の紹介を含むオールカラーの解説は、見ているだけでも楽しい。空間的な広がりよりも、楽器の響きに焦点を置いた録音は、楽器それぞれの個性を明確に伝えてくれる。これだけ充実した内容ながら、価格は2,200円と比較的安価な設定。浜松市楽器博物館のミュージアムショップと、小倉貴久子のホームページ(シリーズ4、5のみ)から購入可能。[丸田哲也氏]
「ディスコグラフィー」のページへ
問:浜松市楽器博物館ミュージアムショップ「アンダンテ」053-451-0300
浜松市楽器博物館
http://www.actcity.jp/gakki/
執筆者・丸田哲也氏が管理するウェブログ"SEEDS ON WHITESNOW"
http://seeds.whitesnow.jp/blog/

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ムジカノーヴァ 2006年5月号 巻頭ページ
スリリングで充実した「当時の響き」
ショパンのアンサンブルを、19世紀のサロンの響きで

「ショパンのアンサンブルを、19世紀のサロンの響きで」は、浜松にある静岡文化芸術大学が研究活動の一環として企画と資金を出し、浜松市楽器博物館が所蔵楽器を東京へ送り出し、小倉貴久子(フォルテピアノ)をはじめ桐山建志(Vn)、白井圭(同)、長岡聡季(Va)、花崎薫(Vc)、小室昌広(Cb)らスペシャリストたちの演奏を得て、第一生命ホールが共催公演として会場を提供した、まさに「浜松発、東京から世界へ発信するコンサート」である。大学、博物館、ホール、演奏家はそれぞれ単独でもコンサートを実現することができる。しかし、この四者がひとつの力となったとき、どれほどスリリングで充実した「音楽の場」が生まれることか。
 今回、浜松から運ばれたピアノは、イギリス式突き上げ式アクション、シングル・エスケープメントの1830年製のプレイエルである。ショパンはポーランド時代にはドイツ式アクションのピアノを用いていたらしいが、1831年にパリに出てからは、イギリス式アクションのエ
ラールとプレイエルを愛奏し、とくに気分の良い日はプレイエルを弾いたと言われる。今回演奏されたのは《ピアノ三重奏曲》作品8、《ノクターン変ホ長調》作品9の2、《バラード第1番》、そして《ピアノ協奏曲第1番》で、いずれも1828〜35年の作品で、まさに演奏される作品と同時代のピアノである。
 とくに興味深かったのは、メインの曲目である《ピアノ協奏曲》がオーケストラ伴奏ではなく、弦楽五重奏で演奏されたことだった。これは決して演奏者(経費?)を節約するためではなく、当時のピアノ協奏曲は、すべてのパート譜を買わなくても、弦楽器のパート譜だけを買うと、そこに管楽器の重要な旋律が小さな音符で記されており、それらを補いつつ弾くことで室内楽編成でも演奏できたという事実から判断されたものである。当時、協奏曲はむしろそうした形態で広まっていった。つまりそれが「当時の響き」なのである。
 プレイエルとこの室内楽編成でショパンのピアノ協奏曲を聴くと、まずはオーケストラ・パートが決して貧弱ではなく、各声部がそれぞれ自己を主張しつつピアノと対等に絡み合い、全体としてはむしろ複雑で密なテクスチュアを作っていることが分かる。ちなみに弦楽器はモダン楽器だが、ガット弦を多く張り、モダン弓より張力の弱い当時のクラシック弓が用いられた。そのなかで、ピアノは現代のピアノに比べて音量こそ小さいが、一音一音の粒立ちがきわめて明瞭で、その軽くて明るく柔らかい音は弦楽器とよくなじむ。各楽器が溶け合って一体化するというのではなく、それぞれが分離して聴こえながら、一方が他を圧することのない、バロックのアンサンブルのような自由さがそこにはある。
 とくに印象的だったのは、ショパンというとまずカンタービレな旋律の美しさが頭に浮かぶのだが、それにも増して、第1楽章展開部や第3楽章で繰り広げられる音階や分散和音などによる速いパッセージの連続が抜群の演奏効果を示すことだった。はるかに鍵盤が重く、音の立ち上がりが遅い現代ピアノでは、鍵盤を打ち抜くように弾く和音やオクターヴが圧倒的な迫力をもつのに対し、速い運動的なパッセージはどうしても軽く聴こえてしまう。しかし、鍵盤が軽く、音の立ち上がりの速いプレイエルでは、和音よりむしろ急速なパッセージのほうが楽器もよく鳴り、圧倒的なヴィルトゥオーゾ性が発揮される。
 しかも、そういうパッセージはショパンではつねに非和声音を含んでおり、それが演奏困難さの一因でもあるのだが、プレイエルでその細部までがよく聴こえ、つぎつぎに現れるパッセージの変化を追ううちに大変なスリルとスピード感を味わえる。この点に関し、腕や上体全体を使おうとするモダン・ピアニストより、もっと手首から先のほうにタッチの要点があるフォルテピアノ奏者としての小倉貴久子の奏法ははるかに有利にみえた。
 ショパンは古典的な作曲家だというが、その一面がこうした音の身振りそのものに浮かび上がったことも含め、通俗的なショパン観をちょっと揺さぶるコンサートだった。 〈岡田 敦子氏〜ピアニスト、音楽評論〜〉

音楽の友 2006年5月号 Concert Reviews
ショパンのアンサンブルを19世紀のサロンの響きで

 小倉貴久子による、浜松市楽器博物館所蔵の1830年製プレイエル・ピアノを使ったショパンのコンサート。
 まずは小倉と桐山建志(ヴァイオリン)、花崎薫(チェロ)による「ピアノ三重奏曲」。楽器の特性だろうがやはり軽やかで華やか、また上品な響きに音場が満たされる。この作品は若書きということもあって、各楽器の旋律線が一定の方向を向いていないためアンサンブルとしての構築には多少困難があるが、この楽器を組み合わせると不思議と調和し、説得力がある。音色変化もグラデーションを描くように幅広いし、おそらくタッチも相当軽いのだろう。
 ピアノ・ソロ「ノクターン」Op.9-2や「バラード第1番」では、煌めくような高音、伸びやかな中音域、そして存在感のある低音と、それぞれがくっきりと主張しながら見事な和声感を織り成す。
 白井圭(ヴァイオリン)、小室昌広(コントラバス)を加えた弦楽五重奏が伴奏する「ピアノ協奏曲第1番」も、端正で隙のない構築、洗練されて艶やかな音色、そして自由なルバートを駆使し、抒情が心に染み入るようなショパンを映し出した。(3月14日・第一生命ホール)〈真嶋 雄大氏〉

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レコード芸術 2006年8月号
CD評 小倉貴久子/ソナチネ・アルバム

[推薦]先年、小倉貴久子によるコジェルフの鍵盤楽曲集が発表されたさい、私は当欄で、貴重な楽曲の再発見を喜ぶとともに、演奏者が示す、フォルテピアノという楽器とその世界にすっかり同化した魅力のすばらしさに触れたと憶えている。その人が、このたびはチェンバロとフォルテピアノの双方を弾き分けながら、18世紀から19世紀初頭にかけ、ヨーロッパ諸国で生み出された「ソナチネ」(言うまでもなく正しくは「ソナティーナ」だが、日本での慣用がすっかり定着している以上、いまさら異論を唱えるのも野暮であろう)の数々を奏でている。内訳を記せば、順にガルッピ、ヴァーゲンザイル、パラディース、ソレール、フック(註、フックスの誤りではなくイギリス人のJames Hook)、ルティーニ、C.P.E.バッハまでをチェンバロ、ケルビーニ、チマローザ、ベンダ、J.C.バッハ、モーツァルト、ヒュルマンデル、ヴァンハル、ホフマイスター、ベートーヴェン、クレメンティ、ドゥセック、ロセッティ、ハイドン、プレイエル、クーラウ、ディアベッリをフォルテピアノで奏でている。なお、以上のうちJ.C.バッハまでが1枚目、モーツァルト以下が2枚目のCDとなっているが、これによって2枚目はモーツァルトの例の「やさしいソナタ」K.545から始まる。また、1枚目の冒頭に置かれたガルッピの曲は、かつてLP時代、ミケランジェリが弾いていたオールド・ファンには懐かしいチャーミングな調べて、こうしたことが、この好企画に世人の目を誘いやすくするならば幸せだ。内容はいわゆる「教材」として世に流布する周知の作から、初めて録音されたような「秘曲」の類まで幅が広いが、総じて「ソナチネ」すなわち規模の小さいソナタ作品が持つ固有の特色そして魅力を余すところなく伝える。解説で平野昭氏が述べられているとおり、「ソナチネ」はけっして初心者や子供たちのために作曲家たちが「手を抜いて」書いた作品とは限らず、中には「ソナチネならではの、ソナタとは別種の特性と、味わい」を立派にそなえた作品、言い替えれば「ミニチュアならでは」の美しさ、佳さを実感させる作品も、多々生み出されたのである。この2枚組アルバムは、その事実を改めて教えてくれるものだが、それというのも、小倉貴久子の弾きぶりが、期待どおり、楽曲それぞれを「今、生まれたもののように」瑞々しく再現する感性の冴えに貫かれているからだ。拍手!!〈濱田滋郎氏〉

[推薦]チェンバロとフォルテピアノ、モダンのピアノを同時に手がける音楽家は通常、その音楽家としての根源的な部分においてそれらのいずれかに立脚点があるものだ。その点について誤解を恐れずに言えば、小倉貴久子はどの楽器の演奏においても高水準の成果を上げつつも、筆者の見るところ、フォルテピアノ、それもいくらかモダン・ピアノ寄りの傾向があるように思う。どの楽器の奏法も音楽の様式も自家薬籠中としているが、チェンバロもフォルテピアノも、一音一音の発音や多様なアーティキュレーションに意識が向けられているというよりは、奔放ともいえる大きな音楽作りとそのダイナミズムにこそ彼女の演奏の大きな魅力があるといえるからだ。チェンバロとフォルテピアノを弾き分けたこのアルバムにもこうした小倉の美質が大いに発揮されている。そのため、たとえばチェンバロで弾かれたガルッピやクレメンティなどの作品は、通常のチェンバロ奏者のそれよりもモダン・ピアノのリスナーや学習者に馴染みやすいといえる。それはフォルテピアノで弾かれた、ケルビーニやチマローザ(モデラート装置の響きがすてきだ)のソナタやゲオルク・ベンダのソナチネなども同様だ。もちろん、単にソナチネ・アルバムでお馴染みの作曲家の曲を古楽器で弾いてみましたといった演奏とは次元を異にする。これらの作曲家が生きた時代の音楽語法や演奏習慣、演奏資料といった作品の原点に立ち戻った上で、持ち前の霊感に富んだ、時に奔放ともいえる演奏を聴かせている。モーツァルトのソナタも即興的な装飾音を盛り込んだ演奏で、とりわけ第2楽章が魅力的だ。その他、ヒュルマンデル、ヴァンハル、ホフマイスター、ロゼッティ、ディアベッリなど日頃あまり聴く機会のない作品が聴けるのも嬉しい。〈那須田務氏〉

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音楽の友 2006年

8月号 コンサート・レヴュー
小倉貴久子(フォルテピアノ)〈Viva Amadeus!!〉

小倉貴久子(フォルテピアノ)
 複数のオリジナル楽器奏者による全曲連続演奏会シリーズの第6回。「洋館で楽しむモーツァルト」。軽やかに幕開けを飾った「コントルダンス」K.269bに続く「カプリッチョ」K.284aは、カデンツァをネックレス状につないだ作品だけに指の技術レヴェルが歴然。名手で聴ける喜びに浸れた。
「ファンタジー」K.396では巧みなルバートによって音楽を自在に膨らませ、「行進曲」K.408/1では拍頭のアクセントがじつにほどよく、全体にメリハリのある流れを生み出していた。変ロ長調の「ソナタ」K.281は第2楽章の短調主題のニュアンスが絶妙。
 次は演奏機会の少ない《「わたしはランドール」の主題による12の変奏曲》。トリル、スケール、オクターブ・トレモロなどに妙技を堪能。その表現力のゆたかさは、これが63鍵の楽器から紡ぎだされている事実をつい忘れさせる。ニ長調K.576の最後の「ソナタ」は第2楽章が味わい深く、イ短調K.310のドラマの奏出にも胸を突かれた。(6月24日・自由学園明日館}〈萩谷由喜子氏〉

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