J.C.バッハとW.A.モーツァルトのクラヴィーア協奏曲
小倉貴久子の《モーツァルトのクラヴィーアのある部屋》第30回記念公演ライヴ

ライヴCDフォルテピアノ:小倉貴久子
ピリオド楽器による室内オーケストラ:桐山建志(コンサートマスター)・天野寿彦・廣海史帆・原田 陽・山内彩香(ヴァイオリン)、成田 寛・丸山 韶(ヴィオラ)、山本 徹(チェロ)、小室昌広(コントラバス)、前田りり子・塚田 聡(フルート)、三宮正満・荒井 豪(オーボエ)、岡本正之・安本久男(ファゴット)、塚田 聡・大森啓史(ホルン)

収録曲:
W.A.モーツァルト:
クラヴィーア協奏曲 第15番 変ロ長調 K.450
クラヴィーア協奏曲 第27番 変ロ長調 K.595
J.C.バッハ:
クラヴィーア協奏曲 ニ長調 作品13-2

使用フォルテピアノ:アントン・ヴァルター1795年のモデル(クリス・マーネ製作)

[録音]2017年11月3日 第一生命ホール(ライヴ録音) [発売]2018年6月
[ブックレット]巻頭言:小倉貴久子、プログラムノート:安田和信、Booklet in English enclosed 全14ページ
ALM Records ALCD-1176 3,024円(税込価格)

このディスクは〈レコード芸術〉特選盤。〈毎日新聞〉特薦盤。〈朝日新聞 for your Collection〉特選盤。〈音楽現代〉推薦。ぶらあぼ New Release Selectionでの紹介。音楽の友DISC Selection[今月の注目盤]への掲載。また〈BillboardJapan〉のAlbum Reviewで紹介されました。

ミューズの微笑みが降り注ぐモーツァルトとクリスティアン・バッハ
ピリオド楽器のスペシャリストたちによる饗宴

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モーツァルトと、彼が終生尊敬の念を抱き続けたクリスティアン・バッハのクラヴィーア協奏曲が収録されている本盤。モーツァルトは幼い頃ロンドンに滞在した時にクリスティアンに初めて出会い、多大な影響を受けている。クラヴィーア協奏曲は、クリスティアンの作品がモーツァルトの養分となったことが間違いないジャンルの一つである。両者を聴き比べることのできる本盤は非常に得難い機会を提供してくれるであろう。(安田和信)

【特薦盤】大バッハの末子ヨハン・クリスティアンの音楽を聴けば、多くの人が「あ、モーツァルトにそっくり」と思うことだそう。でも彼がモーツァルトのまねをしたわけではない。話は逆で、モーツァルトの方が、先輩からそれだけ多くを学んだということだ。気鋭のフォルテピアノ奏者、小倉貴久子とピリオド楽器オーケストラによるこの一枚で、モーツァルト(第15番、第27番)とクリスティアン(ニ長調作品13の2)のピアノ協奏曲の聞き比べを楽しもう。生気あふれる演奏から、親子ほどにも年の違う2人の熱い絆がくっきりと浮かび上がる。(毎日新聞2018年6月12日夕刊 大木正純氏評)

【特選盤】我が国の古楽演奏の世界をさりげなくリードする小倉貴久子。小倉によると2人の作品に共通するのは優しさと愛。そんなことをも胸に刻みながら耳を傾けるのは、他には求められない喜びである。(朝日新聞6月18日夕刊 諸石幸生氏評)

【推薦】小倉のモーツァルトを中心としたアルバムは、2017年11月、東京の第一生命ホールでの演奏会、明確なコンサプトの下、彼女が取り組んでいるシリーズ第30回のライヴ録音である。アントン・ヴァルターの1795年の楽器のレプリカを奏でる小倉と、桐山建志を中心に粒よりのメンバーたちによるオーケストラとの親密なやり取りが生み出す密度の高い音楽が詰まった1枚である。幕開けは、変ロ長調協奏曲K450。第1楽章トゥッティから音楽創りの中心を文字通り担いつつ、小倉はかっちりとした様式感に裏打ちされた豊かな歌を紡いでいく。緩徐楽章では、小倉のフォルテピアノの魅力をさらに手に取るように実感できよう。終楽章でも、オーケストラとの関係が生み出すテンションが小気味好い。かたや、同じく変ロ長調、しかしキャラクターの異なるK595でも、第1楽章から、小倉の独奏のこまやかな表情、自在な表現はもちろん変わらない。あるいは、終楽章など、その音色の幅にさらに惹かれる向きもあろうか。また、この作品では、小倉自らの手になるカデンツァも聴きものだ。これら2曲のモーツァルトに挟まれているのはJ.C.バッハのニ長調の協奏曲。モーツァルトとの間の様式上の関係性、そして距離感が巧みに描き出されている。ライナー・ノーツも、小倉自身のコメントを含め、簡潔ながらしっかりとしたものだが、楽器については、作品との関わりを含め、せっかくの好企画だけに、今一歩踏み込んだ情報があってもあるいは良かったか。(レコード芸術2018年7月号:岡部真一郎氏評)

【推薦】モーツァルトの協奏曲の演奏としては極端に小さい、弦楽器が総勢9名という編成がここでは功を奏している。3曲共に第1楽章の序奏からトゥッティにはフォルテピアノが参加しており、特にモーツァルトの2曲では端々でイマジネーション豊かな弾きぶりを見せているのが、如実に聴きとれるのが嬉しい。モーツァルトでの小倉の独奏は、瞬間的な表情に小回りを利かせてこの作曲家らしさを強調するモダン・ピアノ的なスタイルを採らず、強弱の変化を適宜盛り込みながらも、基本的には大らかな語り口をみせる。その中で前打音付加によるアクセントを際立たせたり、音域ごとに異なる音色を活かした色彩を作ったりと、ピリオド楽器らしいレトリックを駆使して、聴きでのある音楽を織り成しているのが印象的である。第15番も優れているけれども、トゥッティ参加時の活躍ぶりも含めて、よりこまやかな表情が聴かれる第27番の方が感銘深いように思う。 ヨハン・クリスティアン・バッハの協奏曲も演奏スタイルは同傾向ながら、独奏はモーツァルトに比べてより雄弁であるように感じられる。特に対位法的な箇所での明快な声部の弾き分けや、第2楽章での管弦楽との緊密な寄り添いぶり、あるいは第3楽章の転調部分での深みある音色の変化が秀逸である。 管弦楽も細部まで曖昧さのない合奏を披露して、優れた演奏を聴かせる。特に木管楽器、中でもファゴットとオーボエの音色の美しさは特筆に値しよう。(レコード芸術2018年7月号:相場ひろ氏評)

[録音評]2017年11月3日の第一生命ホールでのライヴ収録。フォルテピアノの音量を実際に聴く感じに合わせていくと、ステージ上の左側の弦楽器、センターのフォルテピアノ、右側の管楽器という並びがきれいに見えてくる。おそらくワン・ポイント・ステレオ録音を基本としていて、透明感の高い、バランスの取れた音。ホール・トーンもきれいに展開する。〈93〉(レコード芸術2018年7月号:鈴木 裕氏評)

ピリオド楽器アンサンブルの活気、みずみずしさ、そして愛らしさ。それらがぎっしり詰まったこのアルバムは、フォルテピアノの小倉貴久子が続けるコンサートシリーズ「モーツァルトのクラヴィアのある部屋」第30回を記念するライヴ録音。共演には桐山建志ほか、現代のピリオド楽器のスペシャリストたちが集結。モーツァルトの第15、27番のクラヴィーア協奏曲とともに、モーツァルトが敬愛の念を寄せた作曲家、ヨハン・クリスティアン・バッハ(大バッハの末っ子)の協奏曲も収録。同時代を生きた二人の音楽像がヴィヴィッドに伝えられる(ぶらあぼ2018年7月号New Release Selection:飯田有抄氏評)

【推薦】常にユニークな視点から多彩なプログラムを提供してくれるフォルテピアノ奏者の小倉貴久子が今回、ヨハン・クリスティアン・バッハとモーツァルトの録音をリリースした。クリスティアンとモーツァルトのクラヴィーア協奏曲を並べて聴いてみると、その根底にみられる音楽的親和性にまず驚かされる。小倉は、洗練された演奏技術を駆使しつつ3曲の協奏曲を弾き分けており、スタイルの違いが明確だ。そして何と言っても音の流れが美しい。ピリオド楽器による室内オーケストラも「伴奏」というようりも「協奏」を全面に出した素晴らしい演奏。なるほど、メンバーを見ればいずれも日本を代表する古楽奏者ばかりであった。彼らの今後の活動を期待したい。(音楽現代2018年8月号音現新譜評:石丸裕実子氏評)

J.C.バッハとモーツァルトは親子ほど年が離れているが、モーツァルトはこの先人から多くのことを学んだようだ。特にこの盤で聴かれる作品には、木管楽器の積極的な用法などに、その痕跡を聴くことができよう。フォルテピアノとピリオド・スタイルのオケによる闊達な演奏が楽しい。(CDジャーナル2018年8月号:石原立教氏評)

 フォルテピアノ奏者、小倉貴久子によるニューアルバムは、彼女が精力的に続ける演奏会シリーズ、『モーツァルトのクラヴィーアのある部屋』の第30回記念演奏会のライヴ録音で、モーツァルトの第15(1784)と第27(1791)の2つの協奏曲で、神童モーツァルトに計り知れぬ影響を与えた「ロンドンのバッハ」ことヨハン・クリスティアン・バッハ(1735-1782)の作品13から第2番(1777)を挟み込んでいる。
 小倉を囲む「ピリオド楽器による室内オーケストラ」のメンツも、コンマス桐山建志以下、日本の古楽会を代表する、名うての奏者たちが結集している。
 小倉がここで弾くのは1795年製のアントン・ヴァルター。耳に柔らかい発音が実によく、小倉の繰り出す多彩なタッチに敏感に反応している、この個性的な楽器の繊細な響きが、なによりまず耳を打つ。
 そして、たとえばJ.C.バッハの協奏曲を試みにイングリット・ヘブラーの40年前の録音(PHILIPS)と較べれば、弦楽器はヴィブラートをかけないし、ピッチも違うし、かなり自由なルーラードをはじめとする装飾音を混ぜ込んでいるし...、等々の表層的な差異よりもなお大きな差異に気づかされる。もはや、しかつめらしいアカデミスムや懐古主義の影は、ここにはない。ここにあるのは、もっと生々しい楽器との肉感的交歓だ。
 そのぬくもりのある手触りが、聴き手の胸躍らせるヴィヴィッドな音楽体験の場を現出させる。各曲とも小気味よい引き締まったテンポで走る小倉らの演奏は、いま眼前で音楽が生まれるかのようなフレッシュな香気を湛えている。
 いずれの曲でも、フレージングの息づかいが新鮮で、それをイマジネーション豊かなタッチが彩り、そこここで新たな発見がある。ピアノとオケとの一体感は、協奏曲というジャンルが室内楽の延長線上にあり、決して切離されたジャンルではなく、連続体であることを感じさせてくれる。
 小倉と室内オケとの間だけではなく、オケの成員たちの間でも活発な対話があるのは、たとえばモーツァルト第15の第3楽章のロンドで、積極的に用いられる管楽器との阿吽の掛け合いを筆頭に、随所で花開いており、心踊る。
 18世紀から19世紀において、産業革命を追随するようなかたちで、ピアノという楽器は目覚ましい進化を遂げた。時おりしも現在わたしたちが知るような演奏会システムが誕生して聴衆が爆発的に増えていった時期である。
 となれば大きなホールでより一層の音量と響きを、という要請が生まれるのも自然な成り行き。それに新技術と新発明が次々と応えていった。強度の高いスチール弦、その強力な張力に耐えうる、木製ではなく金属製の鋳型一体フレーム、交差弦などの発明開発が、音量は大きく、響きは当然金属的でブリリアントな楽器へと変容させていった。
 20世紀初頭にはほぼ現在のかたちになったピアノは、今はもう成熟した楽器と言っていい。細かい革新の機運もないではないが、楽器の概念を根底から覆すイノヴェーションは、もう起こらないのではなかろうか。
 そんないま、往年のピリオド楽器を用いた演奏は、まず硬直化した単線的な進歩史観に疑義を差し込み、そして当たり前だが原理的に不完全なスコアに、目から鱗の落ちる思いのする新たな光を照射する、温故知新の精神に根ざしている。
 ピアノの場合、上述のようなめざましい変遷をつぶさに辿ることで、当時それぞれ職人やメーカーによって特徴的だった一台一台の楽器に作曲家たちがどんな霊感を受け、どう作曲を進めたのかを探ることが出来る。こうした営為は、演奏史を刷新する、大きな革新と言っても差し支えないだろう。
 こうした古楽による革新の世界で日本の最先端を行く小倉たちの演奏を耳にすれば、現代の「イノヴェーション」を肌で感じられること請け合いである(ビルボード・ジャパン 小倉貴久子のモーツァルトとJ.C.バッハのクラヴィーア協奏曲 新たなる革新 Album Review 川田朔也氏)

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