「メヌエット・デア・フリューゲル/小倉貴久子通信」のバックナンバー

「過去の特集から」表紙 

第1号

1998年9月21日にカザルスホールで催された「小倉貴久子フォルテピアノリサイタル 〜ウィーンアクション最期の銘記J.B.シュトライヒャーのオリジナル楽器で、ドイツロマン派の大家ロベルト&クララ シューマン、ヨハネス ブラームスのファンタジーの世界を描く〜」に向けて発行された「メヌエット・デア・フリューゲル1998年8月3日発行」からの2つのコラムです。

フォルテピアノで演奏することについて   小倉貴久子

 ベートーヴェン作曲クラヴィーアソナタ嬰ハ短調、いわゆる「月光ソナタ」の第1楽章冒頭には、作曲家自身の筆で「ずっとダンパーペダルを上げっぱなしで」と書かれています。このポピュラーな名曲は無数のピアニストにより弾き続けられて来ましたが、この作曲家の注文を現代のピアノで再現できた人は皆無でしょう。ずっとペダルを踏み続ければ、たくさんの和音で濁ってしまい、聴くに耐え得ないものになってしまうからです。しかし、ベートーヴェンが作曲時に用いた楽器でそれを弾いてみるとどうでしょう。何とも絶妙な効果が生まれます。それは、中世の石畳の街並に夜、教会のカリヨンの鐘が響き混ざっていくような・・・。現代のピアノは、当時のフォルテピアノと全く異なった価値観で造られているため、ベートーヴェンの意図した表現を不可能にするばかりか、そのようなイメージをもつことさえ困難にしてしまったのです。このようにピリオド楽器による再現は、現代の私たちが抱いてきた時代の異なる音楽への既成概念を打ち破っていくことになるのです。
 音楽は、人間の様々な感情(喜び、悲しみ、愛、怒り、恐れ、孤独etc・・・)、自然界との対話など時代を超えた普遍的なテーマが表現されることにあります。表面的なことにとらわれて、この最も重要なテーマが希薄になることは、古楽演奏の陥りやすい点であることも否めません。フォルテピアノで当時の語法で演奏することは必要不可欠ですが、それは単なる手段であり、そこからこの普遍的なテーマをどう表現していくか。それが私の音楽活動の源泉となっています。

演奏法裏話あれこれ 1  ―子音がとっても大切―

 J.S.バッハの音楽を演奏するには、たとえ器楽作品でもドイツ語と修辞学の知識がないとその語りの要素の多い音楽ゆえ演奏しがたい、というのはよく知られている話ですが、当然、古典派の音楽においても語りの要素は重要な意味をもっています。古楽器による演奏に接したときの新鮮な喜びというのは、演奏者のはっきりとしたアーティキュレーションとフレージングが鮮明かつ多彩な発音と共に我々に語りかけてくるという理由が大きいのではないでしょうか。弦楽器の発音時の弓の鋭い動き、管楽器のはっきり目のアタックは演奏者が子音の要素を大切に思っているからに他なりません。ましてやドイツ語は日本語よりも子音の要素が豊富です。Freude schoener と子音が2つ、3つと連続していて舌をまいたり唾を飛ばしつつ発音されます。現代ピアノのハンマーにはフェルトが巻かれていますが、19世紀半ば過ぎまでは革が張られていました。張力が弱く長い弦を固く締められた革のハンマーでたたくと芯がありながら倍音が豊富に含まれた音がでます。強音のスフォルツァンドは子音を強調した鋭い表情が、またピアニッシモでは母音を重視した歌うような表現が可能なのです。 (塚田 聡) 

第2号

1999年4月21日に三鷹市芸術文化センター、風のホールで催された「荒井英治、小倉貴久子デュオコンサート〜ベートーヴェンと仲間達〜」に向けて発行された「メヌエット・デア・フリューゲル1999年3月8日発行」からの2つのコラムです。当演奏会についての詳しい情報はこちらをご覧ください。

ソロとアンサンブルそれぞれの魅力

英治&貴久子 19世紀初頭まで一晩のコンサートのプログラムは、交響曲があって、その楽章の合間にコンサートアリアが入ったり、ピアノソロがあったり、室内楽があったりと様々な楽器編成でバラエティーに富んで構成されているのが一般的でした。そのような形態だったものが初めてリストやクララ・シューマンなどによって、たった一人の演奏家によるピアノのソロ曲だけで、といういわゆる今日でいうところのリサイタルが行われるようになったのでした。その後、ピアノリサイタルは普及し、ピアニストたちは超絶技巧に磨きをかけ、演奏は独特のピアニスティックなものとなってゆき、ピアノという楽器だけがアンサンブルという音楽本来の形態から離れて一人歩きを始めていったのでした。
 しかしながらそのような時代にあっても、ピアノの入ったアンサンブル曲も多く書かれ続けました。18世紀、19世紀のフォルテピアノのサウンドは、低音はチェロやファゴットのような音がしたり、高音部はヴァイオリンや当時のフルートの音に似ているため、弦楽器や管楽器と非常に相性が良く、よく混じり合い、お互いを活かしつつ対等に付き合うことが出来ます。現代のピアノは、他の楽器と比べ著しく近代化してしまった楽器なので、音量、音質共に他の楽器とのバランスが悪くなってしまいます。そのためピアノだけが異質なものとして浮き上がってしまうか、もしくはバックにまわり伴奏の様な響きに終始しなければならなくなってしまいます。しかし、アンサンブルの本来の魅力というのは、いくつかの楽器の音色が溶け合ったり、やさしく対話したり、時にはバトルしたり?!と、まさに友人関係みたいなもので、上司と部下の関係になってしまうと、とたんにつまらなくなってしまうのです。
 一人で生きていくのは孤独で厳しい世界だけど、自分だけの世界を極めたり、限りない自由がある。というのはソロ曲を演奏するのと似ているし、友達との交流は楽しく新しい発見に満ちていて、違った自分に出会えたり、また、相手との制約の中で自分を表現する喜びがある。といったことは、真にアンサンブルと共通することのように思えます。この2つの表現手段は共に魅力的で私はどちらも大好きなのです。 [小倉貴久子]

オリジナル楽器演奏家とモダン楽器演奏家の融和

 現段階の日本では、オリジナル楽器の演奏家、モダン楽器の演奏家と区別され認識されている傾向があります。古楽演奏発祥の地、オランダではそのような区別が今ではほとんど存在せず、相互交流が活発になされています。例をあげれば、ロッテルダムフィルをバックにメルヴィン・タンがフォルテピアノでシューマンの協奏曲を弾いたり、コンセルトヘボウオーケストラのコンサートマスターのヤープ・ファン・ツヴェーデンがモダン楽器のバロック室内合奏団と古楽の奏法を取り入れつつ「四季」をエネルギッシュに弾いたりしています。オランダ以外でも、ヨー・ヨー・マが最近リリースしたバッハの無伴奏組曲の名演は、ビルスマなど古楽器の演奏家の研究、実践がなければ生まれなかったでしょうし、ヴァイオリニストでもヴィクトリア・ムローヴァが古楽奏法から刺激を受けて大きくスタイルを変えたことは有名です。つい最近、18世紀オーケストラは、オリジナル楽器に持ち換えたトーマス・ツェートマイヤーを迎えベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲を演奏しました。チャールズ・マッケラスが古楽器オーケストラのエンラインテンメントオーケストラを指揮したり、逆にベルリンフィルやウィーンフィルをアーノンクールやガーディナーが指揮したり、一昔前までフルトヴェングラーからの太い伝統にあぐらをかいていたドイツまでもが新風をどんどん吸い込んでいます。他にもサイモン・ラトル率いるバーミンガム市交響楽団、ヨーロッパ室内管弦楽団の若い演奏家たち。ヨーロッパのオリジナル楽器の演奏家とモダン楽器の演奏家の融和を例にあげれば枚挙に暇がありません。日本でも常にCDや演奏会を聴くことを仕事としている評論家など、さすがにこのような動きを認め評価していますが、残念ながら演奏家の状況は現在のこの激動のヨーロッパ演奏界から刺激を受け、自からの演奏に反映させようという人は未だ少数派でしかありません。我々の世代の努めとして古楽器の演奏家、モダン楽器の演奏家との区別にこだわらずに双方のよい点を積極的に吸収しあい活かし合ってゆくべきだと考えます。

 荒井英治さんは東京フィルハーモニー交響楽団のコンサートマスターであり、プロフィールからもうかがえるようにモダン楽器の名手です。鋭い感性に裏打ちされた抜群のテクニック、発音が魅力的な美しい音色を持っておられます。その上、飽く無き音楽の探究者と言いましょうか、良いものには常に謙虚に耳を傾けられ、以前からフォルテピアノとの共演に関心を寄せられていました。裏話的な話題ですが、荒井さんは学生時代、同学年の若松夏美さん、鈴木秀美さんらと「Eijiカルテット」なるものをつくり、アンサンブルを楽しんでいたということです。荒井さんにとってフォルテピアノとの共演も小倉貴久子との共演も初めてですが、ヴァイオリンとピアノの音のマッチング、二人の表現力の波長の噛み合わせの妙味をたっぷり味わっていただけることと思います。 [塚田 聡]

*1999年11月12日に東京文化会館小ホールで催された「小倉貴久子ピアノリサイタル〜ショパンのルーツとオリジナリティー〜」に向けて発行された「メヌエット・デア・フリューゲル第3号」にはコラムがありませんでした。

第4号

2000年10月14日に東京文化会館小ホールで催された「音楽の玉手箱Vol.3 〜オリジナル楽器によるモーツァルトの室内楽〜」に向けて発行された「メヌエット・デア・フリューゲル2000年7月28日発行」からの3つのコラムです。当演奏会についての詳しい情報はこちらをご覧ください。

ドラマティック・モーツァルト

 「私はいま、またオペラを書きたいという、口では説明できないほどの衝動を感じています。・・・なにか作曲するものがあるほうが嬉しいのです。結局のところ、それが私の唯一の喜びで情熱なのですから。」これはモーツァルトが1777年に父に宛てて書いた手紙の一部です。このような手紙を引用するまでもなく、モーツァルトは生来のオペラ作曲家です。
 一人一人の登場人物のキャラクターの描き分けの腕前は見事で、心の微妙な移り変わりも音楽で繊細に描いてゆきます。このようなオペラを作曲する際の原理は、器楽曲を作曲するときにも応用されています。器楽曲においても単一のイメージや気分でひとつの楽章を貫くことは想定されておらず、様々なトピックスが盛り込まれています(この点がヘンデルなどバロックオペラと異なる点です)。そして各トピックの性格づけはオペラの登場人物のキャラクターの違いのように明確につけられなければなりません。そのトピックは数小節で性格の異なる次なるトピックにゆずり、めまぐるしく展開されてゆくのです。そうした場面展開はたいがいが即座に行われます。
 シンフォニー第36番「リンツ」のスコアーは手元にございますでしょうか。第1楽章、主部冒頭の20小節目から29小節目までを「シンギングスタイル」とすると、30-36が「ブリリアントスタイル」で、37-41が「経過句」、42-47が「ファンファーレ」、等々数小節毎に著しい場面展開がなされてゆくのです。そしてそれらがぶつ切れではなく全体がセンス良くまとめあげられています。
 そこには人間の全ての表情が含まれています。やさしくすました顔だけではなく、あらゆる表情をもつモーツァルトのドラマティックな側面。これこそモーツァルトがいつの時代の人間にも愛される所以でしょう。(S)

アーユル・ヴェーダ

 3ヶ月ほど前なのですが『アーユル・ヴェーダ』に出会いました。
約10年前に、オランダでレオンハルトやビルスマらの古楽器によるコンサートに初めていったときと同じぐらい、目からうろこ、体の芯から揺さぶられるような状態となって、今、もうすっかりはまっています。『アーユル・ヴェーダ』とは、古代インドから伝わる医哲学の分野なのですが、本当にすばらしいのです。
 言葉の意は、アーユス(生命)、ヴェーダ(真理、科学)。つまり、「生命の科学」のことで、人間としての生き方の知恵が説かれています。興味のある方は、ぜひ、上馬場和夫著「やさしいアーユルヴェーダ」(PHP)を読んでください。
 私が、最も感銘を受けたところ、すなわち、をれが本質をつくところなのですが、私自身の中に宇宙があるということに気づく、ということ。その気づきが、真我(アートマン)であり、この自己の真我と宇宙の知性(ブラフマン)がひとつになることが人間の本来の姿であるということです。ですから環境破壊は己れ自らを傷めつけることになるのです。この問題はまた別の機会に触れたいと思います。
 私は、中学生の頃から、宇宙の気を感じて演奏するということをおぼろげながら感じ始めていました。今では、いい演奏とは“自分”というものを無にして作曲家からのメッセージを交信するかのごとく、それに導びかれるように音で伝えていくものだという確信を持っています。そういう最も優れた演奏家はジャクリーヌ・デュ・プレだなあ、と感じているこの頃です。エモーショナルな彼女の演奏に完全に虜になっています。
 さて、作曲家にもいろいろと種類があるとは思いますが、私の敬愛するベートーヴェンは、不断の努力と気迫で偉大なる名曲を生み出してきました。彼は宇宙からの音楽のインスピレーションがやってきて、それを楽譜に書き記すことが自分の使命だという信念をもって作曲していたようです。また、モーツァルトは一般には“天上の音楽”のようだと言われて愛されていますが、その“天上の音楽”とは実は“宇宙の真理”を伝えている音楽なのではないでしょうか。一人一人それぞれが、自分のうちに持っている宇宙に訴えかけられ、そして音楽との一体感を持つがゆえに、恍惚とした状態に、癒されるような、活力を与えられるような気分に満たされるのではないかと。(K)

Arturo Toscanini

 先日、スピーカーを新調するにあたって長いこと実家に眠ったままになっているレコードを聴こうと思い、レコード針も買い求めました。レコードライブラリーの中にかつて中古レコード屋で手に入れたトスカニー二(1867〜1957)の指揮するブラームスの交響曲第4番があり、なんの気なしにかけてみると、これが自分の感性に非常にマッチする演奏で驚いてしまいました。「オーセンティックな演奏解釈」などと言って得意になっている時代考証派の演奏家、ノリントンやアーノンクールの出現がもてはやされ、あたかも新しいブラームスやベートーヴェン像を掲げたかのごとき言われていますが、50年も前に、ここまで鮮烈な、譜面を厳しく読み込み、かつ気力のほとばしるエネルギッシュな演奏があったということにショックを感じました。こうなると時代考証派の演奏家たちが頭をひねりながら考えたこととは何だったのかと問わずにいられません。トスカニーニは、もちろん学問的探求心もあったでしょうが、それよりも感性の鋭さ、音楽に対する情熱の深さ、愛をもって作品の本質に近づいているように思います。それが自身の音楽感の確固たる表出で、様々な偏見や誤解を乗り越えた強靱な精神力に裏づけられています。臨場感のあるアナログ録音の誠実さにも助けられ、説得力をもってスピーカー越しにトスカニーニの思想がビンビン伝わってくるのです。マエストロの情熱が、結果的に作品の真の姿をも再現しているところにトスカニーニのただならぬ姿をみました。(S)

また、当演奏会で当日お配りしたプログラムに、コラム「モーツァルトの素朴な疑問にお答えします」を掲載しました。

モーツァルトの素朴な疑問にお答えします

ケッヘル番号って1つの作品に対してどうして2つあるものがあるのでしょうか?

 ケッヘル(Ludwig von Koehel)は19世紀オーストリアの鉱物学者兼音楽学者です。彼が1862年に著した「ケッヘル作品目録」は体系的にモーツァルトの作品を本格的に網羅した最初のものでした。以来、モーツァルトの作品は年代順にケッヘルが番号をつけたこの目録にそって「ケッヘル番号(Koehel-Verzeichnis)」で呼ばれるようになります。その後、盛んにモーツァルトの研究が進められてゆくようになりますが、その中で、新たに発掘される曲、作曲年代がケッヘルの定めたものと異なることが明らかになる曲が年を追うごとにでてきます。後の学者はケッヘルの業績に敬意をもって、ケッヘルを基準として新たな目録を作ってゆきました。例えば、ケッヘルは今夕演奏される12の二重奏曲をKV487としましたが、その後の研究で、この作品はもう少し後に作曲されたことが判明し、クラヴィーア三重奏曲KV496とKV497の間に配置されることになり、その表記方法としてKV496aと表すことにしました。このようにアルファベットを数字の後に加えることによって、柱になる曲の間に、新発見の曲、年代の明らかになった曲が加わっていきます。ケッヘル番号の改訂校として有名なものはA.アインシュタインが1937年にまとめたケッヘル第3版、1964年にまとめられた第6版があります。これらの校訂では多くの情報が追加され、初期の作品は番号付けが基本的に変更されました。現在ではケッヘルの著したオリジナルの番号と、最新版の番号を併記するのが丁寧な表記方法として定着しています。なお現時点での最新版は第11版になります。           

モーツァルトはクラヴィーアの名手だったけれど 他にはどのような楽器を演奏したのかしら?

 モーツァルトは1772年、16歳でザルツブルク宮廷楽団の有給のコンサートマスターになっています。ザルツブルク時代に作曲された5つのヴァイオリン協奏曲や「ハフナー・セレナード」のソロ・ヴァイオリンパートはモーツァルト自身が弾いたであろうと思われます。ウィーンに出る前のモーツァルトはクラヴィーアよりもヴァイオリンの独奏者という面が強かったのです。
 ウィーンに出てからのモーツァルトは、まず第一に自身を最もよく表現する楽器としてクラヴィーアを演奏したことは周知のとおりですが、弦楽器も主に室内楽の分野で度々演奏しています。中でもヴィオラを好んで演奏しました。ハイドン、ディッタースドルフ、ヴァンハル(錚々たるメンバー!)と共に弦楽四重奏を演奏した時にも、モーツァルトはヴィオラを受け持ちました。モーツァルトの作曲した弦楽五重奏曲はヴィオラを2本用いていますし、中低音を奏でる管楽器を独奏におくホルン五重奏曲でさえもヴィオラを2本採用していることをみても、この内声を受け持つ楽器をこよなく愛していたことがわかります。今夕演奏される「ケーゲルシュタット・トリオ」も中音重視のモーツァルトならではの編成といえるでしょう。
 モーツァルトが管楽器を演奏したという記録はないようですが、クラリネットの名手、A.シュタードラー、またホルンの名手、J.ロイトゲープとの親しい交流の中からこれらの楽器に魅了され、演奏法に習熟したモーツァルトによって優れた名曲が生み出されてゆきました。(塚田 聡)

第5号

2001年1月30日に音楽の友ホールで催された「小倉貴久子ピアノリサイタル 〜ベートーヴェンをめぐる女性たちVol.1」に向けて発行された「メヌエット・デア・フリューゲル2001年1月1日発行」から2つのコラムです。当演奏会についての詳しい情報はこちらをご覧ください。

「ボヘミア・ベートーヴェン紀行」青木やよひ著 東京書籍刊

 「《不滅の恋人》の謎を追って」、という副題を持つこの著書では「不滅の恋人」に宛てて書かれたベートーヴェンの手紙を巡って劇的な物語が史実に隠された謎を解きつつ推理小説を読むように著されています。第5章「幻想のフランツェンブルン」の最終項「追憶のソナタ」では、読んでいる頭の中に後期のソナタが交錯しながら鳴り響き感涙してしまいます。ベートーヴェンの後期作品に、これまで以上の興味を促してくれたこの書籍を元に、シリーズ演奏会の企画を思いつきました。また「ボヘミア・ベートーヴェン紀行」の価値をさらに高めている美しいデザインを施されているのは、昨秋共演させていただいた「国分寺チェンバーオーケストラ」でヴィオラのパートリーダをなさっている二宮かおるさんです。この偶然の出会いはうれしいものでした。なお、ベートーヴェンの恋人たちの詳細については、この本の他に青木やよひさんの「ベートーヴェン・不滅の恋人」(河出文庫)に詳しく書かれています。(K)

ドロテアのように

 今回の演奏会のチラシはベートーヴェンの恋人たちの間に私が割り込むという、いささか大胆な図案になっておりますが、私もベートーヴェンを愛する理解者として、彼女たちと並びたいという気持ちを表したものとしてお許しいただければと思います。
 ベートーヴェンから「親愛な、貴重なドロテア・ツェツィーリア(音楽の守護聖女)」と呼びかけられ、作品101のソナタを「いく度となく、あなたのためにと思って作られたこの曲をお受けください」という手紙と共に献呈を受けたドロテアは、チェルニーやライヒャルトら同時代の作曲家にも高い評価を得ていたピアニストで、シンドラーも「ほかに並ぶ者はない」「ベートーヴェンの作品の最も奥にある微妙な点ですら、あたかも彼女の眼前にそれが書き記されているかのように、確実かつ直観的に理解した」と評しています。
 女性のピアニストでここまでベートーヴェンをうならせ、彼のピアノ作品を完璧に演奏したドロテアは、私にとっては目標とすべき人で励みにもなる存在です。
 また、ベートーヴェンの優しさを示すひとつのエピソードが、後年ドロテアに会ったメンデルスゾーンによって記されています。ドロテアが末の子どもを亡くして悲嘆にくれていたとき、ベートーヴェンは夫人を自宅に招待し、「さあ、ごいっしょに音楽で話をしましょう。」とピアノの前に腰掛け、1時間あまりもピアノを弾き続けたということです。ドロテアは「私にすべてを語り、すべてを与え、最後には慰めを与えてくれたのです。」とメンデルスゾーンにその思い出を語りました。(K)

第6号

2002年4月10日開催の「音楽の玉手箱 Vol.4 〜ベートーヴェンをめぐる女性たち その2」に向けて発行された第6号から2つのコラムです。演奏会についての詳しい情報はこちらをご覧ください。

 アンナ・マリー・フォン・エルデーディ伯爵夫人

 「ベートーヴェンをめぐる女性たちシリーズ」は、青木やよひさんの著された『ボヘミア・ベートーヴェン紀行〜《不滅の恋人》の謎を追って〜』を読んで感激したことにより企てられたものです。
 不滅の恋人候補者の他にもベートーヴェンの周りには魅力的な女性がいました。そんな女性のひとりエルデーディ伯爵夫人に今回は焦点を当てました。ベートーヴェンはエルデーディ伯爵夫人に「懺悔聴聞僧」と呼びかけ、様々な恋の悩みを打ち明けていたということ。この二人にはどのような関係があったのでしょう。
 アンナ・マリーはハンガリー人で1779年生まれ。16歳で結婚し3児をもうけました。ベートーヴェンと出会った当時、夫とは別居状態にあったようです。夫人はピアノの名手でベートーヴェンの曲をよく弾き、彼の理解者であり後援者となりました。1808年にベートーヴェンがカッセル宮廷楽長に就こうと考えていたのを、貴族たちに働きかけて年金の支給をとりつけ、その計画を思いとどまらせるという重要な役を演じたことについてのエピソードは、当演奏会のチラシ裏面に記したとおりです。この頃ふたりは共同生活を始めています。邸内では木曜日ごとに内輪の音楽会が催され、そこにはウィーンきっての弦楽四重奏団、「シュパンツィヒ四重奏団」が度々出演するという豪華なものでした。夫人に捧げられた「ピアノ三重奏曲 作品70」も、こうした雰囲気の中で初演されました。その演奏を聴いたポツダムのフリードリヒ2世の宮廷楽長であるライヒャルトの言葉を引用します。

「新しい三重奏曲は、大きな力と独創性に満ちている」とりわけ変ホ長調作品について「この世のものとも思えないカンタービレに満ちた楽章は、かつて彼の作品のなかで耳にしたことがないようなものであった。これまで聴いたもののうち、最も愛らしく優美なものである。この楽章のことを思い出すたびに、私の心は昂揚し、良い気持ちになるのだ」

 ベートーヴェンの心の奥深くまで理解したといわれるエルデーディ伯爵夫人ですが、召使いに関わるごたごたで、メモを通してはげしく怒りをぶつけ合うなどして1809年には仲違いをしてしまいます。共同生活は半年あまりで崩れてしまいました。ところが1815年には再び心のこもった交流が再会します。その年のベートーヴェンの日記には「エルデーディ伯爵夫人から34瓶」という記載があります。夫人からワインが贈られてきたのでしょう。この時期、夫人はウィーンにおらず交流は手紙のやりとりによっていました。ベートーヴェンの有名な言葉「すぐれた人間は苦悩をつきぬけて歓喜にいたる」は、この時期に夫人へ宛てた手紙の中に書かれたものです。そして、1817年にはそれより2年前に作曲された「チェロソナタ 作品102」が夫人に献呈されています。(S)
 
参考書籍『ベートーヴェン不滅の恋人』 青木やよひ著 河出文庫
『ベートーヴェン事典』 中村孝義 他 東京書籍

 ベートーヴェンと東洋思想 

 メヌエット・デア・フリューゲル第4号 (2000年7月発行) で「アーユルヴェーダ」について書きました。
 私自身の中に宇宙があるということに気づく。その気づきが、真我(アートマン)であり、この自己の真我と宇宙の知性(ブラフマン)がひとつになることが人間の本来の姿であるということ。純粋な静寂の体験により宇宙と合一する自己を目指すことを説くアーユルヴェーダの教えはインドで五千年もの昔から伝えられてきたものです。
 宇宙の根元的啓示が示されている行動哲学書、「神の歌」と訳される「バガヴァッド・ギーター」は、物質世界に対する執着心を手放し、ブラフマンに帰融する大切さを説いた叙事詩で、ヒンドゥー教の大切な聖典です。二千年にわたりインドで、また世界的に広く読まれてきました。

 1812年 服従、おまえの運命への心底からの服従、それのみがおまえに犠牲を―――献身としての犠牲をおわせうるのだ――(中略)―― 
 おまえは自分のための人間であってならぬ、ひたすら他者の中、おまえの芸術の中でしか得られないのだ――(中略)――こうしてAとのことはすべて崩壊にいたる――――

 不滅の恋人、アントニア・ブレンターノとの衝撃的な別れのショックを緩衝するため感情の捌け口を求めてか、1812年から続く6年間ベートーヴェンは上記の言葉を第1ページ目に、気まぐれなスタイルですが日記をつけだします。この期間は私生活上で、自殺を再び考えるようになるほど鬱状態に陥っていたばかりか、作曲をする上でもとても苦しい時期でした。ウィーン会議の只中、旧体制がみるみる崩壊してゆく社会の動きも不安定で、ベートーヴェンを悩ませていた諸問題がこの日記に書き留められています。興味深いのは宗教や哲学、思想に関する様々な書物からの覚え書きです。昨年末『ベートーヴェンの日記』の邦訳が出版され、我々にこの苦難の時代のベートーヴェン像が明らかにされました。
 英雄的な中期の様式も「新しい道」と自ら意識しつつ切り開いたものですが、ベートーヴェンはこの時期、次なる道を模索していました。問題提起と解決、相反するものの対決と融和。ソナタ形式の機能を極限まで突き詰めた中期の作曲法とは別れを告げ、穏やかで内深く思索的な作品がぽつりぽつりと生み出されてゆきます。
 ベートーヴェンは日記の中で、「リグ・ヴェーダ」や「ブラーフマニズムの宗教体系」などのインド哲学の書物から言葉を書き写しています。
 すべての快楽と欲望より解放されし者、そは万能の一者なり。そは唯一者なり。その者より偉大なる者はなし[ブラーフマ(梵天)]
 ベートーヴェンが下線を引いて記した言葉です。インドの音階と音名を書き写すなどインドそのものにも興味を示していた彼は「バガヴァッド・ギーター」も読んでおり、感銘を受けた文を日記に筆写しています。
 (略)……そして叡知の中にのみ避難所を求めよ。なぜなら悲惨と不幸は、物事の結果によるにすぎないからだ。まことの賢者は、この世の善悪に思い煩うことはない。それゆえ汝の理性をこのように使う術を習得すべく努めよ。なぜならこのような使い方は、人生における貴重な芸術だからだ。――
 二度も死を考えるほどの苦悩の体験からベートーヴェンが至った境地は、夏目漱石が修善寺で半時間死んだ体験をした後「則天去私」の境地に入っていったように、そこには宇宙の知性(ブラフマン)が見えていたのでしょうか。(K/S)

参考/引用書籍:『ベートーヴェンの日記』 メイナード・ソロモン編 青木やよひ/久松重光訳

「過去の特集から」表紙