オランダからのメッセージ 〜塚田 聡〜

横断歩道 〜社会のルール〜

 オランダで横断歩道を渡ろうと立ち止まると、ほぼ100%の車が止まり歩行者を通します。「さすがオランダ、弱者への思いやりがある」と感心するのですが、実は違う観点からオランダ人は横断歩道の前で車を停めるようです。
 オランダは平地ばかりなので自転車が幅を利かせています。左折レーン(日本と逆なので注意!)に自転車レーンが隣接し車と一緒の左折が許されているほどです。
 オランダを訪れる日本人がよく経験することですが、自転車レーンを歩いていると「歩行者が歩くな」とどなられます。また自転車レーンの左側を自転車で走行していると対向自転車が遠慮なくぶつかってくるか、「日本では左側を走るのか」(その通り!)などとどなられます(私の実体験)。
 生活している内に、横断歩道で車が停止するのは、思いやりのあるなし、とは別の観点があることに気がついてきます。
 厳然としたルールが社会を支配しているのです。
 横断歩道を渡ろうとしている人がいたら、車には止まる義務があるから止まるので、歩行者は渡る権利があるから渡るというだけの話なのです。
 日本でも同様のことが法律で決められていて、免許証を取る時にもちゃんとそのように教わりますが、これが車は滅多に止まりませんね。それどころか、歩行者がペコペコ車に頭を下げながら渡っています。自転車も、左側通行という感覚が希薄です。

 このように、オランダ社会の隅々にルールが行き渡っているのですが、理由はあるのでしょうか。この考え方の根には日本とは異なるバックグランドがあるようです。
 日本では基本的に隣人は仲間で同じ人種で同じことを考えているはずだ、と考えます。ところが特にアムステルダムでは顕著ですが、隣人は肌の色も違えば、考えの基本的な部分も異なる異文化人、という前提があります。
 こういった混とんとした社会を支えるのに必要なのがルールです。挨拶の仕方から細かなマナーまでマニュアルが用意されているかのごとく、皆が同じように振る舞います。表面的には日本よりもずっと杓子定規で、相手に接するときの顔の表情のつくり方まで基本的なマニュアルが用意されているかのごとくです。
 女性はヨーロッパに行くと気持ちのよい思いをすることができますが、これもマニュアルが築き上げた女性に接するマナーが全ての男性に行き渡っているからにほかなりません。
 ヨーロッパの男性も日本の男も中身は変わらないことはつき合ってみれば分かることです。マナーが整理され、上辺だけなのですが、とりあえず隣人と気持ちよく暮らそう、という努力はしかし、なるほど、私たちも見習うところがあるようです。特に「和」の精神が行き渡らなくなった現代日本にとっては...。

仕事は楽しく 〜反グローバリゼーション〜

 小さな商店も現在では世界を相手に闘っている、と言われます。地球全体が闘う相手なのですから、夜も徹して働かなければいつアメリカのスーパーがやってきてつぶされないとも限りません。家は田舎ですが、近くのスーパーは25時まで店を開けています。そこでパートで働いているみなさんは、お客様へのサービスがなにより重要ということで一点一点値段を読み上げながらバーコードを読ませています。オランダ人がこれを見て、彼らの賃金を知ったら労働者搾取に近い苦役を課されていると経営者に詰め寄るでしょう。
 「労働組合」「ストライキ」「労働三法」、本来資本主義社会に必須のこれらの言葉も今では過去の遺物的扱いを受けているようです。
 仕事をする人は誰もが仕える身であり、社長も顧客に仕えなければなりませんが、仕事をする人自身も主役であり、楽しい労働時間を過ごすことは重要なことです。
 オランダの有名スーパーチェーン、アルバートハインのレジ係は、回転椅子に座りながら快適そうに商品をバーコードに読み込ませています。郵便局でも鼻歌、口笛交じりは当たり前、客との上下関係は存在しないので、それを誰からも咎められることはありません。
 ところが、数年前までは商店の閉店時間が決められ、日曜日に店を開けることが法律によって禁じられていたそんなヨーロッパ諸国の規制もずいぶんと緩和され、好むと好まざるに関わらず彼らも世界競争の中に組み込まれつつあります。
 労働者の権利を守るための規制もどんどん取り払われ、弱肉強食の恐ろしい世の中に投げ出されることを余儀なくされているヨーロッパ社会、具体的にバカンスの取得日も減っています。
 でも、このグローバル化の流れにのまれないように、ヨーロッパ諸国は早くも考えを転換してきています。仕事に拘束される時間はもっと短く、という考えはヨーロッパ人共通の望みです。
 ラテン諸国は今でもお昼の時間帯に郵便局なども含めた店が、一斉に休み時間をとるシエスタが行われています。私たちもいかがでしょう。こんな日本の世の中の流れにいっそ自ら率先して取り残され、挙手をしてみんなで負け組に入っていく、というのは。世界みんなが怠け者になればいいことたくさんありそうです。

節電 〜そして星との暮らし〜

 無駄な二酸化炭素を排出しない!これはオランダの国是です。海面が上昇すれば全国土が失われてしまうオランダにとって環境問題はとても身近で、小学校からその教育に多くの時間が割かれています。
 「18世紀オーケストラ」のリハーサルを教会に見学にいくと、小さな窓からこぼれる明かりとスタンドに白熱灯を少しつけているだけです。これでは演奏は難しいと思っていると、練習開始を知らせるステージマネージャーが全体の明かりをつけます。こういった極まった節電をよく見ました。ところがあんなに小さな国土と人口でいくら節電をしようが、たかが知れているのが悲しいところ。
 オランダからのメッセージです。誰もいない部屋の電気やテレビは消しましょう。
 電気をつけるたびに発電所のタービンが回り、なんらかのエネルギーが消費され、二酸化炭素が排出されてゆく、と想像してみてはいかがでしょう。
 また、ヨーロッパの夜の暗さは印象的です。夜になれば幾千もの星が私たちに笑いかけてくれている(星の王子さま)わけですから、そういった星たちとコミュニケーションがとれないことは不幸なことです。
 夜の街は暗いし、商品は少ないし、お菓子の紙箱は紙質が悪くてミシン目にそって切ることさえできません。日本からオランダに行くと一見貧しいです。ルイ・ヴィトンを持っている人も見かけません。ですが、人間が生きていくために不足しているものはなにもありませんし、消費者金融が林立していたり、お金に無駄に振り回されている人もあまりいないように思われます。

アンネ・フランク 〜国境はいらない〜

 オランダの美点は?
 インターナショナルでおおらかなところをまず挙げたいです。
 大国に挟まれ、どうにかうまくやってゆくことが強いられるオランダ。人々も一人一人が国際的な感覚を自然に身につけ、どんな外国人にも気持ちよく接します。
 ドイツやフランスに留学した友人がアムステルダムに来ると、「肩の力が抜ける。ここでは自分が黄色人種ということを全く意識しないですむ」と心からの安堵の言葉が出てきます。
 江戸時代に幕府から唯一交易が許されたのも、カトリックの先鋭的原理主義的なスペインやポルトガルの宣教師と異なるおおらかさを、当時の日本人がオランダ人に見たためです。自分たちの文化が全てではなく、ましてや押しつけるものではない、というおおらかさ。時にいい加減さを伴いますが、江戸幕府に、そういった態度が安全で心地のよいものと映ったに違いありません。
 アンネ・フランクの物語にも、こういったオランダ人の思想がにじんでいます。先鋭的な考え、あるものを正しいものと判断をくだすことの危険性を、大国に挟まれ微妙な外交を常に強いられてきた経験から十分に承知していたのでしょう。
 多様性、他人を受け入れるおおらかさは、それ自体が平和への大きな礎です。第二次大戦中にドイツから逃げてくるユダヤ人を、身を賭してかくまうオランダ人の勇敢さは今でも生き続けています。
 自分の意見をもちつつも他人の意見に耳を傾ける。日ごろ近くにいるパートナーや、出会う人すべてに常に尊敬心を抱きながら接する。
 とても難しいことですが、オランダを見習って、日々努力してゆきたいことです。

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