音楽の名所を訪ねて

 9月にオランダに着き落ちつくと貴久子、聡、咲子の3人はウィーン、ザルツブルク、アウグスブルク、アイゼナハ、ボンへの音楽の旅に出ました。写真と共に訪れたところを紹介します。

 ウィーン Wien

 アムステルダムからウィーンまでは寝台車で向かいました。3段ベットで鍵のかかる個室コンパートメント。快適な旅の始まりです。

 ウィーンに到着し最初に訪れたのが、「芸術歴史博物館」 Kunsthistorisches Museum です。毎夏そこの楽器の修復の携わっている山本宣夫さんと波多野みどりさんにお会いしました。KHMと略される「芸術歴史博物館」はフランツ・ヨーゼフ1世によって1881年から1913年にかけて建築された「新王宮」内にあり、その古楽器コレクションは12の展示室からなるオーストリアの音楽史に沿った歴史順の展示がなされた大規模なものです。鍵盤楽器は16世紀後半に製作されたスピネッティーノから始まります。ウィーン古典派の時代に3室を割き、そこでヴァルター製の楽器やエラールの楽器を見ることができました。幸運なことに山本さんを通じて、副館長のRudolf Hopfner氏を紹介していただき彼から詳細な説明を受けることができ、それに止まらずこれらオリジナルの楽器を弾くことが許可され大半の鍵盤楽器を試奏することができました。翌日には館長のHuber氏を交えた彼等の前で、現在修復中の楽器を用い小演奏会を修復室の中で催しました。思わぬ歓待を受け感激のKHM滞在でした。山本さん、波多野さんに感謝。

 5泊したウィーン滞在中、精力的に作曲家に関する名所を訪れました。以下訪れた順に簡単なコメントをつけながら紹介しましょう。

 ブルクガーデン Burggarten 
 あまりに有名なモーツァルトの銅像 Mozart Denkmal にまず挨拶。

 メルカーバスタイ Moelkerbastei のベートーヴェン記念館、パスクヴァラティハウス Pasquaratihaus
 ブルク劇場間近のメルカーバスタイは、かつて堡塁であり小高い丘になっています。そこの5階にあったベートーヴェンの家からの見晴らしは良く、引っ越しの多い彼の生涯の中で最も長期にわたり住んだ住居というのもうなずけます。1804年から1808年、そして再び1810年から1814年の間継続的に住み、交響曲第4、第5、第6やフィデリオなどの傑作が生み出されてゆきました。
 ここではナネッテ・シュトライヒャー Nanette Schtreicher の5つのペダルをもった楽器を見ることができました。

 ティーファーグラーベン Tiefergraben のベートーヴェンの家
 「1815年から17年までベートーヴェンが住んだ」「opus 101, 102, 98, 106, 137」と書かれたタイルでできたレリーフが壁に埋め込まれています。この通りには他にも、モーツァルトが最初のウィーン旅行の際に滞在した「家具職人の家」や、3度目の訪問で泊まった「フィッシャーの家」があります。

 コッラルト伯爵邸 Palais Collalto
 1762年10月9日、6歳になるモーツァルトがウィーンで初めて演奏会をした会場。神童モーツァルトの物語がこの建物での演奏会から始まったのです。この4日後にモーツァルトはシェーンブルン宮殿でマリア・テレージア女帝に謁見しています。マリー・アントワネットとのあの微笑ましいエピソードもこの滞在時に生まれたものです。

 モーツァルトの長男ライムント(夭折)が誕生した家
 1783年長男が生まれるときに住んだ家で、静かで小さなユーデンプラッツ Juden Platz という広場に面しています。私たち3人はこの広場のカフェでモーツァルトの家をみながら一休みしました。

 大町陽一郎氏宅を訪問
 ベートーヴェンと縁の深い貴族の館、ロプコヴィッツ侯爵邸は、ウィーン国立劇場の裏手を少し行ったところに今でも豪華な構えを見せています。そのロプコヴィッツ侯爵邸の向かいに指揮者、大町陽一郎氏のウィーン宅があり、短い時間でしたが、山本さんと波多野さんと共にお邪魔させていただきました。建物の中に入るとまず、ビロードのベンチを備えたエレベーターが迎えてくれ、そのゴージャスさに圧倒されます。大町さんからは、シュトゥルム Sturm (嵐の意)という白ワインになる前段階のワインとブドウジュースの合いのこのような季節物のおいしい飲み物で歓待していただき楽しい時を過ごしました。

 シューベルトの生家
 37番の市電はウィーン市中から重要な2つの博物館を通ってハイリゲンシュタットへと通じます。ウィーンの音楽を愛する者にとっては重要な路線。まずヌスドルファー通り駅で降り、シューベルトの生まれた家へ。コの字型になった部屋数の多い裕福なこの家からはシューベルトの幸せな幼少時代が偲ばれました。シューベルトには兄弟が13人います。父親はこの地で学校経営をして成功していました。

 エロイカハウス Eroicahaus
 さらに市電にのり坂を登ってデーブリング Doebling に入ると右手にエロイカハウスが現れます。1803年に住んで交響曲第3番「エロイカ」を作曲したであろうと言われているこの家も記念館となり公開されています。ただしここには楽器もなく絵画が飾られているだけのこぢんまりとした家でした。

 ハイリゲンシュタット Heiligenstadt
 さらに37番の市電で終点までゆくとハイリゲンシュタット公園のベートーヴェンの立像が我々を迎えてくれました。この道を歩いているような手を後ろに組んだ散歩スタイルのベートーヴェンが半円のアーチに囲まれています。
 一度坂を下り、また登りプファール広場 Pfarrplatz に出ると1817年5月から2ヶ月間ベートーヴェンが暮らした黄色い家があります。この家の中はホイリゲ Heurige といって近郊でとれた新酒を飲ませるレストランになっています。ハイリゲンシュタットでは、ぜひホイリゲでワインを、と思ったのですが、どこのレストランも夕方からの営業で今回は果たすことができませんでした。ホイリゲではシュランメルン兄弟などの音楽が小バンドによって陽気に奏でられ、そのバンドに一聴の価値があるということです。
 そのプファール広場からホイリゲの並ぶ通りを少し行くと、ベートーヴェンの「遺書の家」があります。1802年10月にふたりの弟に対し書かれた「ハイリゲンシュタットの遺書」について改めて紹介する必要はないでしょう。ここでは様々なエピソードが回想され当時のベートーヴェンの心境についてしばし思いを巡らせました。
 遺書の家を出て今日ベートーヴェン・ガング Beethovengang(ベートーヴェンの小径)と名付けられている小川に沿った道を歩きました。この道は「田園交響曲第2楽章」の楽想を得たところとして有名で、遺書の家とセットで訪れる人が多い道です。ベートーヴェン・ルーエ Beethovenruhe の銅像が川辺に建っています。そこから気まぐれに北側の山を登ってみました。登り切り南側斜面をみると広大なぶどう畑が広がっています。ベートーヴェン当時の雰囲気を感じることができたような気がしました。

 その日はさらにハイリゲンシュタットから4番の地下鉄に乗り、テクニカル博物館とシェーンブルン宮殿に足を運びました。テクニカル博物館 Techinisches Museum は波多野さんの勧めで行ってみました。さすがにウィーンにある博物館。楽器のメカニックを紹介する大きな部屋があり、鍵盤楽器が歴史順に、内部のメカニックが紹介されながら系統立てて理解できるように配置されていました。そしてヘッドフォンで各楽器の音色を試聴することができるゆうになっていて、この部屋だけで十分に楽しめました。その博物館から徒歩数分でシェーンブルン宮殿 Schloss Schoenbrunn です。17世紀末レオポルト1世が建築に着手し、18世紀半にマリア=テレジア女帝が増改築し気品のあるゴージャスな今日の姿になりました。中にはモーツァルトやハイドンが自ら指揮をし作品を上演した宮廷劇場 Teatro de palacio があります。ただこの日は5時を過ぎてしまい内部の見学をすることができませんでした。庭園からグロリエッテ Gloriette という丘の上にある凱旋門に登ることが出来ました。

 バーデン Baden
 ウィーンの南方面25キロにあるバーデンはモーツァルトとベートーヴェンにとってゆかりの地で、私たちは一日を割きバーデンへの旅に出ました。ウィーン国立劇場のはす向かいから「田舎電車バーデン行き」 Lokalbahn nach Baden という路面電車が出ています。ウィーンの街から次第に遠ざかるにつれ右側に森が広がってきます。そうすると間もなく温泉町で有名なバーデンに到着。電車は街の中心広場ヨゼフ広場に着きます。街中歩行者天国になっていて街中は買い物を楽しむ人たちで溢れていました。ラートハウス小路の一角には1821年にベートーヴェンが「第九」を書いた家があります。黄疸を湯治するための滞在でもありました。ベートーヴェンが滞在していた2階は簡単な記念館になっていますが、開館時間が各日2時間ずつしかなく、入ることができませんでした。歩いても数分で回れてしまうバーデンの街には他にも記念すべき建物がいくつもあります。次に我々が訪れたのはモーツァルトが「アヴェ・ヴェルム・コルプス Ave Verum Corpus 」を作曲した家です。モーツァルトの妻コンスタンツェが湯治のため度々バーデンに滞在したので、モーツァルトの場合は妻の見舞いのためにこの街を訪れたことになります。モーツァルト最後の年1791年に彼がバーデンを訪れた際、街のシュテファン教会の合唱長アントン・シュトルにコンスタンツェがお世話になったことの謝礼の意味でこの合唱曲を作曲し献呈しました。家の壁には立派なレリーフが埋め込まれていました。シュテファン教会 St.Stephan の内部にも入ることができました。シュテファン教会のはす向かいに位置するエリアにはベートーヴェンが序曲「献堂式」作品124を書いた家、またシューベルトやヨハン・シュトラウスが滞在した家があります。バーデンの北方には温泉公園 Kurpark という気持ちのよい公園があります。その公園に入るとヨハン・シュトラウスとランナーが手を取り合った銅像が迎えてくれます。その奥にはモーツァルト聖堂 Mozart Tempel が、さらに上に登るとベートーヴェン聖堂 Beethoven Tempel があります。ベートーヴェン聖堂から望むバーデンの街がとてもきれいでした。

 メートリンク Moedling
 バーデンから電車でウィーン方面へ少し行くとメートリンクという街があります。この山辺の街はベートーヴェンとシューベルトのお気に入りの街で私たちも一度は訪れてみたいと思っていたので、途中下車をして歩き回りました。こぢんまりとした現在でも魅力的な街でした。ハンマークラヴィーア Hammerklavier を書いた家荘厳ミサ Missa Solemnis を書いた家を訪れました。

再びウィーン

 ハイドン記念館 Joseph Haydn - gedenkstaette
 ハイドンがオラトリオ「天地創造」と「四季」を書いた家、つまり1797年から死まで住んでいた家は現在ハイドン記念館になっています。清楚で整ったこの家から信心深く規則正しい生活を送った彼の生活が偲ばれました。ハイドン記念館の一室はブラームス記念館 Brahms - gedenkraum として公開されています。ここにはブラームスが所有していたクラヴィコードが展示されていました。

 フィガロハウス Figarohaus
 これまで訪れた作曲家の記念館は閑散としていて大抵私たち3人だけが訪問者でした。しかしここシュテファン大寺院近くのフィガロハウスは各国の訪問者で溢れていました。モーツァルトはここに1784年9月から87年7月まで住み、ケッヘル400番台後半にあたる自主演奏会で演奏されたピアノ協奏曲や「フィガロの結婚」などの傑作を生み出してゆきました。

 その後、国立劇場までの道をくねくねとシューベルティアーデが集まった跡地モーツァルト最後の家の跡地モーツァルト最後の公開演奏会(ピアノ協奏曲第27番)が行われたオットー・ヤーンのホール跡地を巡りながら行きました。

 市立公園内のヨハン・シュトラウス2世像 Johann Strauss ブルックナー像 Anton Bruckner シューベルト像 Franz Schubert 。またカルルス広場 Karlsplatz のブラームス像 Johannes Brahms に挨拶をしウィーンに別れを告げました。

 ザルツブルク Salzburg

 モーツァルトの住んだ家 Mozarts Wohnhaus
 ミラベル宮殿の庭園を抜けマカルト広場に出ると正面にモーツァルトの家があります。ここは1773年、モーツァルトが17歳の時にゲトライデガッセにある生まれた街から越して住み始めた家です。舞踏学校のあとで相当大きな屋敷です。この頃モーツァルト家は、コロレド伯と長期休暇の許可を得られる得られないでもめていましたが、これほど大きな屋敷に住まわせてもらっていたモーツァルト家は、なんだかんだ言って当時からザルツブルクの誇りだったのでしょう。内部はモーツァルト博物館になっています。ウィーン市の記念館と異なり、日本語のイヤホンガイドが付いていたり、小映画館が付いていたりと力の入った博物館で楽しめました。

 モーツァルトの生家 Mozarts Gebrtshaus
 大学時代、病的にモーツァルトに憧れていた私は、地図無しで歩けるほどザルツブルクの街を隅々まで頭に描いて楽しんでいました。実際のザルツブルクは想像以上に美しい街でした。
 ゲトライデガッセ getreidegasse という目抜き通りにモーツァルトの生家は面しています。同時テロの犠牲者に対する弔旗が掲げられていました。モーツァルトの弾いていたヴィオラ、ヴァルターのピアノがありました。室内の展示もさることながら、窓辺から外を眺めつつ幼少のモーツァルトがこの景色を見ながら何を考えていたのだろう、などと想像すると楽しくなります。

 ザンクト・ギルゲン St.Gilgen
 ザルツブルクの駅前から出る郵便バスに乗って50分。山の中にヴォルフガング湖が広がっています。その湖畔の街、ザンクト・ギルゲンはモーツァルトの母親、アンナ・マリアが生まれた街です。アンナ・マリアの父親はザンクト・ギルゲン地区の司法総監督を務めた人で、今でもその家は地方裁判所として活用されています。裁判所としては異常にこぢんまりとした建物の中の一部屋がモーツァルト記念館になっているのがユニークです。モーツァルトの姉ナンネルも結婚後この母親の実家に住んでいたことがあり、建物の壁にはふたりの顔が彫られたレリーフがありました。そこからしばらく坂を登るとかわいらしい市庁舎があります。その前にはモーツァルトの泉 Mozartbrunnen という、少年モーツァルトがヴァイオリンを弾いている像の立つ泉がありました。なお私たちはザンクト・ギルゲンから船で対岸に渡りシャフベルク山に登山鉄道で登る旅を楽しみました。

 アウグスブルク Augsburg

 ザルツブルクからドイツに入り最初の宿をアウグスブルクに定めました。アウグスブルクはレオポルト・モーツァルト Leopold Mozart の生まれた街で、モーツァルトのいとこのベーズレ Baesle がいたり楽器メーカーのアンドレアス・シュタイン Andrean Stein が活躍していたり古典派音楽を愛する者にとってやはり通り過ぎることのできない街です。レオポルトの生まれた家は現在モーツァルト記念館として公開されています。シュタインの楽器が展示されていて、見学者のために係りの人がその楽器で弾いたモーツァルトのソナタをテープで流してくれました。モーツァルト記念館で買ったパンフレットの裏面の地図に従いベーズレが住んでいたところとシュタインの家を訪れましたが、いずれも具体的な家を特定することが出来ませんでした。

 アイゼナハ Eisenach

 ヴァルトブルク城を背後にもつアイゼナハの街はとても清楚で美しい街でした。私たちにとって初めての旧東圏でしたが、壁が無くなってから10年、今や旧西圏との違いを見つけることは不可能なほどここアイゼナハでは全てが整っていました。もちろんアイゼナハに来たのはJ.S.バッハ Johann Sebastian Bach と逢うためです。バッハの生家は小さな広場に面した所に落ちついたたたずまいを見せていました。そしてその右手には大きな銅像が広場を見下ろしています。ここでの見学者もあまりいなかったのですが、一階の楽器展示室で当時の楽器を聴かせてくれる時間にちょうどあたり、クラヴィコードとスピネット、小型のオルガンを2台の音を聴くことができました。オルガンはいずれも人力オルガンでその内のひとつは、ひとりの聴衆がひもを引っ張り役としてかり出されるというユニークなオルガンでした。バッハの生家らしい渋く落ちついた家でした。アイゼナハのマルクトに面したセント・ゲオルグ教会 St.Georg Kirche はバッハが洗礼を受けた教会です。入り口を入るとまずバッハの銅像が迎えてくれます。バッハの時代には代々のバッハの親類がこの教会のオルガニストを務めていました。

 ボン Bonn

 長期に渡った私たちのオーストリア、ドイツ旅行の最後はボンです。アイゼナハからの移動に半日を費やしたので短い滞在でしたが、ベートーヴェンの生家にあるベートーヴェン・ハウスをゆっくりと見学し、シューマン記念室にも行くことができました。ベートーヴェン・ハウスはウィーンの杓子定規的な記念館と異なりベートーヴェンへの愛の感じられる家で気に入りました。展示室は12部屋もあり、ベートーヴェンのヴィオラ、グラーフ製のハンマー・クラヴィーア、ベートーヴェンの生まれた部屋など興味深いものの他に、多数のベートーヴェンの自筆の手紙、スケッチブックなど垂涎の展示物がありました。このベートーヴェンハウスでゆっくりとした後、駅の反対側にあるシューマンの家に向かいました。かなり迷いながら到達したシューマンの家は市立音楽図書館の中にありました。シューマンの部屋は当時、精神病医リヒャルツ博士の療養所の一部であり、シューマンが死ぬまでこの療養所に入院していたとのことです。現在は音楽関係の書物、CDなどを扱う図書館になっていて、冬にはシューマンの室内楽作品を中心としたコンサートが2階で開かれるということです。

 アムステルダム Amsterdam

 オランダの誇る作曲家と云えば最後期ルネッサンス時代に活躍したスウェーリンク Jan Pieterszoon Sweelinck がまず第一にあげられます。スウェーリンクはアムステルダムの旧教会 Oudekerk のオルガニストを務め、オルガン曲、ヴァージナル曲、数多くの合唱曲を残しました。旧教会の柱にレリーフがありました。

写真
1:芸術歴史博物館
2:ティーファーグラーベンのベートーヴェンの家のタイル
3:エロイカハウス入り口
4:シェーンブルン宮殿のグロリエッテ
5:ベートーヴェン聖堂からバーデン一望
6:ハイドンの家
7:モーツァルトの生家
8:モーツァルトの泉、背後はザンクト・ギルゲンの市役所
9:案内表示板
10:マルクト広場のベートーヴェン像
11:旧教会内のスウェーリンクのレリーフ

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