『モーツァルトの生きた時代』第1回 楽曲解説

はじめに

 「モーツァルトの生きた時代」と題されたシリーズの第1回である当夜は、西方への大旅行の時期に焦点をあてている。これは1763年6月初め、モーツァルトが7歳の時から、66年11月下旬にも及ぶ長期の旅行であり、滞在地にはパリやロンドンといった当時の(今も)大都会が含まれていた。第1回のプログラムでは、モーツァルト自身がこの旅行時に書いた作品と、パリとロンドンで見たり、聴いたり、弾いたりした他人の作品を取り上げている。
 実作品に他者からの影響が認められるか否かという問題は、当人が認めて、書簡などで証言していないかぎり、明白な実証は難しい。だが、モーツァルトの作品は、彼を取り巻く様々な音楽的環境の影響から完全に免れていると考えることもまたナンセンスであろう。「モーツァルトの生きた時代」シリーズでは、‘この旋律とあの旋律が似ている’式の比較だけでなく(これはこれで魅惑的なのだが)、同じ空気を吸っていた作曲家たちの親和力と個性を味わって頂ければ、幸いである。

演奏曲目について

モーツァルト:ソナタ ト長調 K9
 このソナタは、ヴァイオリン伴奏を付けることも可能な、鍵盤楽器のためのソナタ集《作品2》の1曲として、1764年パリで出版された。当時のパリは、ショーベルト、エッカルト、ホーナウアー、ラウパッハといったドイツ出身の音楽家たちが、最新の様式で鍵盤楽器用のソナタを出版し、それらは再版を重ねていた。モーツァルトは彼らの曲集に倣って、《作品1》と《作品2》で各2曲づつ、計4曲のソナタ(K6〜9)を同地で出版したのだろう。ちなみに、モーツァルトは1767年に、父レオポルトの助けを借りながら、彼らのソナタの楽章を適当に選び出して協奏曲に編曲している(K37、39〜41)。
 ソナタト長調は3楽章からなる。最初のアレグロは付点リズム、レガート、スタッカートなど多彩な語り口の旋律が目立つ。アンダンテは強弱や音域の対比が印象的であり、緩徐楽章としてはやや特別な効果をもつ。フィナーレはアンダンテと同じく、3拍子を取るが、こちらはやや規模の大きいメヌエット I & II。第1は、ト短調の第2ともに3連符リズムが多用されるが、第1では8分音符リズムとの対比が図られる。

ショーベルト:ソナタ第2番 変ロ長調 作品14-2
 出身地不明(シュレジア地方説が一般的)のドイツ人ショーベルトは、パリ滞在時の少年モーツァルトを惹きつけて止まなかった存在であった。ショーベルトはモーツァルト一家に作品17のソナタ集の出版譜をプレゼントするなど、一家との交流がそれなりにあったのに対し、父レオポルトからはその不誠実な性格を非難されている(1764年2月1日付書簡)。6曲からなる作品14は、ヴァイオリン、ヴィオラ伴奏を伴うことが可能な鍵盤楽器ソナタ集であり、モーツァルトのK9と同様の趣向をもつ。「和声の効果と魔術を完璧に知り尽くしている」(メルヒオール・グリム男爵)と評されたショーベルトの特質が表れた曲集であろう。
 第2番は4楽章構成をとる。最初のアレグロ楽章と最後のフィナーレでは、旋律的には短小なモティーフを連続させ、和声の移ろいで‘聴かせる’というショーベルトの特質が全面に出ているが、アンダンテはレガートに勝る旋律美をもつ。これら3つの楽章は前半の主要素材が後半において主調で完全に再現されるが、こうした‘進歩的’傾向は、1760年代、パリにおけるドイツ人の鍵盤ソナタ作家が一般的に示したものであった。第3楽章は表出的な短調で流れるトリオをもつメヌエットで、デリケートな旋律線が印象に残る。

エッカルト:ソナタ第5番 ハ長調 作品1-5
 アウクスブルク出身のエッカルトは1758年にパリを訪問して以来、同地で暮らすようになった。「天才」、「パリで最も優れた作曲家」と同時代の批評家(グリム男爵)から評されたばかりでなく、レオポルトも、ショーベルトとは打って変わって、同郷のエッカルトを高く評価していた。彼の曲集は、6曲の独奏ソナタ集である《作品1》(1763年)、2曲の独奏ソナタ集《作品2》(1764年)、《エグゾデのメヌエットによる変奏曲》(1764年)しか現存していない。《作品1》は作曲者自身がモーツァルト一家にプレゼントした曲集でもあり、単一楽章のソナタ第4番イ長調は、モーツァルトによって協奏曲に編曲されている(K40の第2楽章)。
 エッカルトのソナタは2ないし3楽章構成が基本であるが、第5番は第4番同様に単一楽章で、多くの楽節を含む大規模なアレグロとなっている。冒頭主題を始めとして、モーツァルト作品で‘どこか聞き覚えのある’旋律素材が使用されているほか、演奏技巧の華やかさも注目される。

ヘンデル:フーガ第6番 ハ短調 HWV610
 この作品は、ヘンデルが1735年に出版した《オルガンまたはハープシコードのための6つのフーガあるいはヴォランタリー集 作品3》の第6曲である。1782年、ウィーンにいたモーツァルトは、「ヘンデルの6つのフーガ」について4月10日付の父親宛書簡の中で言及し、父親に楽譜の送付を頼んでいる。「ヘンデルの6つのフーガ」は1770年頃に作成された手稿譜がザルツブルクに現存しており、それらは《作品3》と一致している。従って、父親の手許にあった曲集が《作品3》であったことはまず間違いないだろう。さらに言えば、ザルツブルクにおける《作品3》の流通は、モーツァルト一家が西方への大旅行から持ち帰ったロンドンの出版譜である可能性も決して低くはない。1760年代のモーツァルトにとって、器楽フーガは実作品としてはほとんど書かれていないが、ロンドン滞在時に書かれた未完のフーガハ長調K15ss(《ロンドン・スケッチ帳》所載)の存在は、《作品3》との連関を感じさせないでもない。
 《作品3》の6曲は基本的に3声フーガ集であるが、第5曲イ短調と本日演奏される第6曲ハ短調の2曲のみ4声で構想されている。

アーン:ソナタ第4番 ニ短調
 アーンは、18世紀中頃のロンドンにおける劇音楽の代表的作曲家であった。彼の唯一の鍵盤楽器ソナタ集は、奇しくもモーツァルトの生年である1756年にロンドンで出版されている。当時、アーンは自作出版を集中的に行っており、全般的に、ロンドンで人気の高かったドメニコ・スカルラッティ風な色彩が濃厚な8曲からなる《ソナタあるいはレッスン集》もその一環であった。この曲集に含まれる各曲は様式的にみて良く言えば多彩、悪く言えばごちゃごちゃであり、単一楽章の変奏曲から組曲風な4楽章まで様々なタイプの作品が並列している。モーツァルト一家がロンドンに滞在した時に書かれた書簡には、アーンやこの曲集について全く言及がないが、発売当初からかなりの人気を博したものであるだけに、全く知らなかったとは言い切れない。
 全4楽章からなる第4番は、曲集中最大にして最も異彩を放つソナタである。最初のアンダンテは、溜息のモティーフや切迫感溢れるシンコペーションなどが印象的。‘シチリアーノ’と題されたラルゴは短く、シチリアーノの様式を墨守するが、緊張感溢れる短調作品のなかで一抹の平安を与えてくるヘ長調楽章。次の、4声を主体とするフーガ(曲集全体で唯一のフーガ楽章)は和声的にも対位法的にもやや緩い構造をとり、独特の佇まいを見せる。最後は典型的なイギリス風のジーグ・フィナーレ。

モーツァルト:オランダの歌‘ヴィレム・ファン・ナッソウ’による7つの変奏曲 ニ長調 K25
 この変奏曲は、1766年3月にデン・ハーグで出版された。自筆楽譜が現存しないため、正確な作曲時期は分からない。1766年5月16日付の父親の書簡では、急いで作曲されたのでたいした曲ではないとされている。主題に使われた旋律は、オランダではたいへんポピュラーなものであり、モーツァルトは同時期の《ガリマティアス・ムジクム》K32の終結フーガにもこれを用いている。
 18小節の主題に続いて、8分音符への分割、ホケトゥス(両手の互い違い)、16分音符への分割、付点リズム、アダージョ、ハープ風16分音符、アルベルティ・バス上の主題再現、以上7つの変奏が続く。

J.Ch.バッハ:ソナタ第4番 変ホ長調 作品5-4
 ヨハン・クリスティアン・バッハは、1764年4月から65年8月にまで及ぶロンドン滞在のみならず、西方への大旅行全体を通じて、モーツァルトに最も影響を与えた作曲家ではないだろうか。1766年にロンドンで出版された独奏用鍵盤ソナタ集《作品5》(全6曲)は、モーツァルトが1772年にそこから3曲を選び出して協奏曲に編曲していることから(K107)、従来より特に注目されてきた。ただし、モーツァルト一家のロンドン滞在時には、《作品5》のみならず、出版は1774年であった《作品17》のソナタ集の一部作品も既に完成しており、バッハとの交流によってモーツァルト両曲集のソナタを知る機会は十分あったのではないだろうか。
 2楽章からなる第4番のアレグロは、《作品5》のなかで最も緊密な構造をもつソナタ楽章であろう。各部分を構成する素材の独立性が明白であり、形式区分にも曖昧さがない。フィナーレは、これまた形式区分が明確で、半ばフランス的な‘ロンドー’楽章。冒頭主題は優雅な旋律が流れるメヌエット風なもので、モーツァルトとの近親性を感じずにはいられない。(安田和信)

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