『モーツァルトの生きた時代 第4回』 楽曲解説 

モーツァルト:グレトリーの《サムニウム人たちの結婚》からの主題による8つの変奏曲 ヘ長調 KV352

 この変奏曲はウィーン定住後まもない頃、1781年の6月頃に書かれ、1786年に初版が出版されています。主題は、当時の有名なオペラ作家アンドレ=エルネスト=モデスト・グレトリーのオペラ《サムニウム人たちの結婚》(1776年、パリ初演)第1幕の合唱「愛の神よ」から取られています。モーツァルトはグレトリーとは面識がありませんでしたが、おそらくパリ旅行の際にこの主題を知ったのかも知れません。同時期に同じくパリで知られていた旋律を使用した変奏曲を2曲書いており、いわば「パリ産の旋律による変奏曲」の3曲セットによって、流行発信都市パリの薫りへとウィーンの人々を誘おうとしたのでしょうか。
 主題は2分の2拍子で書かれていますが、テンポ指示は付いていません(グレトリーの原曲では「行進曲のテンポで」と指示されていました)。規則正しいフレーズ構成と付点リズムが特徴的なものです。第1変奏から第3変奏までに徐々にスピード感が増していった後、長いトリルが印象的な第4変奏、短調に代わる第5変奏、両手の交差が華やかな第6変奏、アダージョにテンポを落とす第7変奏、そして8分の3拍子のアレグロに変わり、フィナーレに相応しい軽快さをもつ第8変奏となります。この変奏曲は長大なコーダなどをもたず、モーツァルトの変奏曲のなかでは当時の一般的な作り方に従っています。

クレメンティ:トッカータ 変ロ長調 作品11-3

 ムーツィオ・クレメンティ(1752〜1832)は「近代ピアノ演奏法の父」などと呼ばれることもある偉大な作曲家・ピアニストです。イタリア出身ながらロンドンを本拠として、モーツァルト、ベートーヴェンの時代に国際的に活躍しました。モーツァルトとは彼が1781年末にウィーンに訪問した時に会っています。その年の12月24日、皇帝ヨーゼフ2世の御前で、両者は競演を行ったのです。この時、クレメンティはモーツァルトの演奏の美しさに心を打たれたと後に回想していますが、モーツァルトのほうはクレメンティを指が回るだけの「単なる機械屋」、趣味も感情もない「ペテン師」とボロクソにこき下ろしています。この競演の際にクレメンティが演奏した曲の一つが、このトッカータ(1784年初版)です。
 この作品(2分の2拍子のプレスティッシモ。後に4分の4拍子へ変更)はトッカータと題されていますが、ソナタ形式の枠組みに従っています。非常に印象的なのは演奏の非常に難しい3度や6度のパッセージが右手に多用されていることです。この点について、モーツァルトはクレメンティは右手が巧みで大したものだが、それ以外は味わいもセンスもまったくないと評価しています。
 

クレメンティ:ソナタ ハ長調 作品9-2

 クレンティのウィーン滞在は1782年5月まで続きました。このソナタを含む作品9のソナタ集(全3曲)は1783年に、モーツァルトとも深い関係のあった出版業者アルタリアより初版が出ています。同種の曲集作品7、作品10もアルタリアより出版されています。モーツァルトには忌まわしいことだったかも知れませんが、アルタリアはクレメンティの音楽を「売れる」と判断したのでしょう。ウィーンで出版されたクレメンティのソナタは1曲を除いてすべて3楽章構成をとっており、それ以前の2楽章構成への好みがウィーン訪問をきっかけに変化したようです。
 第1楽章(4分の4拍子のアレグロ・アッサイ)は、ウィーン訪問の成果かどうかはわかりませんが、クレメンティにしては明解な構造をもつソナタ楽章。オクターヴ奏法が多用されている点は、モーツァルト作品との「趣味の違い」を表していると言えるでしょうか。2部形式によるハ短調の第2楽章(4分の3拍子のレント)は、後の改訂版で「悲劇的に」との指示が付加されていますが、まさに悲しみの感情を湛えています。短調作品に名作を残すこととなる後年のクレメンティを思い起こさせるものです。第3楽章(4分の2拍子のアレグロ・スピリトーゾ)は軽快な性格の主題によるロンド。6連符の流れが支配的な最初のエピソード、表出的なハ短調の2つめのエピソードは主要主題との対比が明確です。

シュテファンカプリッチオ 第3番 ト長調

 ボヘミア出身のアントン・シュテファン(1726〜1797)は1740年代にウィーンへ移り住み、ピアニスト・教師として活躍しました。弟子のなかに幼い頃のマリー=アントワネットがおり、ウィーン宮廷とも関係が深かった音楽家でした。本日演奏される作品を含む5つのカプリッチョ集は出版はされず、作曲年代もわかっていませんが、シュテファンの優れた才能を示す小品であり、まさしく「知られざる逸品」と言えるでしょう。
 カプリッチオ第3番は多彩かつ繊細な表現をもつアンダンテ部分(2分の2拍子、「カンタービレ(歌うように)」との指示をもつ)と、リズミカルなト短調の部分(8分の3拍子のプレスト)が交互に現れます。2度目のプレスト部分が現れると、途中でト長調に変わり、テンポもさらに速くなって終わります。自由奔放な音楽が得意だったシュテファンらしい作品です。

コジェルフ:ソナタ ト短調 作品15-1

 ボヘミア出身のレオポルト・アントン・コジェルフ(1747〜1818)は、ウィーンにおけるモーツァルト最大のライヴァルでした。1778年にウィーンに定住してすぐに、ピアニスト・教師・作曲家として名声を確立し、85年からは自ら楽譜出版業を始め、自作の鍵盤音楽をたくさん出版しました。モーツァルトは手紙での発言から察するに、コジェルフをかなり意識していたことは間違いありません。確かにコジェルフの音楽は現在聴いても優れたものが多く、そうしたモーツァルトの態度にも頷けるでしょう。
 ソナタト短調は1785年に自前の出版社より初版の出た3曲のソナタ集作品15の第1曲です。第1楽章は緩徐な部分(4分の3拍子のラルゴ)の後に、ソナタ形式による部分(4分の3拍子のアレグロ・モルト)が続き、最後に冒頭の緩徐部分が再現されるという、コジェルフお得意の、そしてシュテファンのソナタでも好まれたパターンが継承されています。第2楽章(4分の2拍子のアレグロ、ト長調)は、クレメンティと同様に、明解な構造をもつロンド。16分音符の絶え間ない流れをもつ無窮動風な主題の性格は、2つのエピソード(2つめはト短調)にも受け継がれ、聴き手を音の洪水へ巻き込みます。

モーツァルト:ソナタ 変ロ長調 KV570

 自前の出版社を作り、順調に鍵盤音楽の出版を続けていたコジェルフに比べれば、モーツァルトは鍵盤音楽を量産して出版で儲けるという商売にはあまり熱心ではなかったようです。『自作品目録』に「1789年2月」付で記入されたこのソナタも、作曲目的もわかっていませんし、生前には出版されませんでした(初版は作曲者の死後の1796年。なぜか第三者によるヴァイオリン・パート付きで)。1788年以降は、前年末に任命された宮廷作曲家の職によって少なからぬ年俸が保証されるようになっていますし、フリーの音楽家だったコジェルフとは異なり、比較的自由に仕事ができたのではないかとも言えそうです。
 第1楽章(4分の3拍子のアレグロ)は、穏やかなユニゾンの主題で始まるソナタ楽章。この主題は後続部分でも再使用され、この楽章の核として機能しています。第2楽章(4分の4拍子のアダージョ)は明解な構造を持つロンド。穏やか性格の主要主題とは異なり、ハ短調の第1エピソード、変イ長調の第2エピソードはともに半音階の変化が多用されています。第3楽章(2分の2拍子のアレグレット)は主題の陽気な性格からしてロンド形式のように始まります。ところが、クレメンティやコジェルフとは違って、形式の構成はまったく明解でなく、非常に気紛れな展開をみせているのです。(安田和信)

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